79 東名高速道路

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第79回



台風襲来、“禁断”のヒッチハイクに手を出して名古屋に着く







明日にピークが訪れそうな台風9号に直撃されないように、それまでになんとしても名古屋に入りたい…。そう思って、またしても徹夜の走行を試みようとする僕であった。


午後7時、静岡駅。
そして、国道1号線を、藤枝、島田と夜道を走る。
大井川の、長い長い橋を渡る。


道は思ったより起伏が多く、9時ぐらいになると、全身がくたびれてきた。固い決意を胸に秘めた割には、…疲れるのが早いのだ。


道路幅が狭くなり、ダンプカーがすぐ横を追い抜いて行き、その風圧でよろけそうになる。 だんだん心細くなってきた。


かなりきつい上り道が始まり、ますますペダルを踏む脚が重くなる。峠を上りきったあたりでは、車が途切れ、まわりは真っ暗であった。以前にも経験したが、夜に走ると、追い抜くトラックは怖いけれど、一台の車も走っていないという道路も、また気持が悪いものである。

前方にトンネルが見えた。このあたりの地名は、金谷とあった。静岡県掛川市の、少し手前である。そしてトンネルを抜けて、僕は腰を抜かさんばかりに驚いた。


トンネルを抜けると、…そこは 「雨国」 だったのだ。雪国、じゃぁ、ありません。なんとまぁ〜。雨のカケラさえ見えなかったのに、こちら側はざぁざぁ降っている。これは、…これは、何なのだ???


が〜〜〜〜〜ん。


千と千尋の神隠し」 の 映画のキャッチコピーは、


   〜 トンネルのむこうは、不思議の町でした 〜


…だった。 
この当時、もちろんそんな映画はなかったけれども、トンネルひとつ隔てたこの天候の激変は、 不思議の町そのものだった。


雨の勢いはどんどん強くなり、あっというまにびしょ濡れだ。もはや徹夜走行の覚悟も、どこかへ消し飛んでしまっていた。箱根の山を克服しても、清水の次郎長にあやかっても、雨の前にはひとたまりもなく、子羊のようになる僕である。おまけに、台風の影響で風も強い。前からまともに雨と風を受けて、目も明けられないほどだ。


が〜〜〜〜〜ん。


道路沿いに、プレハブのような2階建てのレストランがあった。灯りに吸い込まれる虫のように、僕はそこへ飛び込んだ。看板に、「宿泊OK」という文字があった。


カウンターだけの、ウナギの寝床のように細長い飲食店だった。僕は、狭い店内に無理やり自転車を押し込めながら、
「泊めてください。 もうこれ以上、走れない」
カウンターの奥にいたコックのお兄さんに、言い訳をするのだった。
「あ、そんなところに自転車を入れないで。外に置き場があるからさ」
お兄さんは、あわててカウンタから出て、こちらへ飛んで走ってきた。


お兄さんに2階に上がるように言われ、体を拭いて荷物を持ち、細い階段を上がって行くと、ベッドだけ置いてある狭い部屋があった。トラックの長距離運転手などが、こういうところに泊るのであろう。いちおう浴衣が置いてあったので、それを着て下へ降り、奥にあった小さな風呂に入って、また浴衣を着て店のカウンターに座った。


「トンカツちょうだい」 と、僕は注文した。
お兄さんは、僕の浴衣姿を見て、
「う〜ん。 もう少し小さい浴衣を出しましょうか?」 
と言った。
「はぁ …?」 
と、僕は自分の格好を、改めて眺めてみた。
なるほど、ぶかぶかである。
浴衣など、子どもの頃以来、着たことがない。こちらへ歩いてくるとき、どうやら裾を引きずってきたらしい。「いいです」 そう言って、僕は裾をまくりあげて座りなおした。お兄さんは、なんだか妙な顔をして僕を見つめていた。まったくねぇ…、浴衣なんて、どーでもいいじゃないか。


400円のトンカツの味は格別で、地獄から一転しての天国だ。
2階へ行き、ベッドに横になると、ほどなく眠ってしまった。




  ………………………………………………………………




 
8月23日の朝刊。 昨晩は四国で台風の被害が出たようだった。




8月23日。 一夜が明けた。
ここの部屋は狭いが、窓はある。そこから、道路がよく見えた。…台風はどうなっている? 雨は降っておらず、空は、どちらかと言えば晴天に近かった。しかし、風が相当激しく吹いていたのが、窓越しにでもよくわかった。この店のあるところは、日坂という地名だった。

 




さて、名古屋まであと150キロである。


店を出て、自転車で走り始めたが、強烈な向かい風に閉口した。ペダルを踏んでも踏んでも、なかなか前に進まない。早くくもキレた僕は、自転車で名古屋まで走るのをあきらめた。


「ヒッチだ。 ヒッチをしよう…」
一人だけでヒッチなど、したことがなかったけれども、どうしても、今日中に名古屋まで行きたかったのである。


いつのまにか、僕は25日に帰ることを自分で決めていた。そのためには、今日名古屋で泊り、明日は京都まで行くのが条件だ。明後日の25日に、大阪の自宅に帰ろう…。
もう、そう、決めてしまったのである。車に乗って、名古屋まで行くぞぉ。 


が〜〜〜〜〜ん。


道路沿いに食堂があり、比較的広い駐車場に、何台かの車があった。たぶん、いま食堂に入って食事をしている客たちの車であろう。荷台が空っぽのトラックが1台、目に入った。ナンバープレートを見ると、名古屋ナンバーである。これだ。 これから名古屋へ帰る車だ。 これに乗せてもらうのだ。


勝手にそう決めて、僕は自転車を車の横に止め、地面に座り込んだ。


しばらくして運転手と助手らしい男の二人連れが、こちらに歩いてきた。僕は立ち上がり、「すみませ〜ん」と声をかけ、事情を話した。案の定、名古屋へ帰る車だった。僕がひと通り話し終えると、
「…それで、ここでずっと待っていたの?」
と一人が言い、二人して顔を見合わせてから、運転手らしいほうが、
「じゃぁね、高速道路の料金を半分払ってくれるんなら、乗せてあげるよ」
そう言った。
もちろん僕に異存はなかったので、話はすぐにまとまった。助手らしい若い方が、自転車を荷台に上げるのを手伝ってくれた。


高速道路、というのは、東名高速道路のことである。今ではわかりきった話だけれども、僕はそういう高速道路があるとは、そのときには、まったく知らなかった。車でヒッチ、と言っても、車も国道1号線を走るものだと思っていた。


後からわかったことだけど、この東名高速道路は、この年に全面開通したというから、このときは、まだ珍しかったのだ。名古屋と神戸を結ぶ名神高速道路は、すでに4年前に全通していた。


その東名高速道路を、「3人」で、名古屋に向かった。


浜名湖サービスエリアだ。景色がいいから、ここで休憩しよう」
運転手がそう言って、浜名湖の見える駐車場へ車を入れた。浜名湖サービスエリアには、沢山の人たちがいた。
「どうだい。記念に写真を撮ってやるよ」
運転手はそう言って、記念撮影をしてくれ、飲み物も買ってくれた。この二人は、なかなか親切な人たちだった。


ところで…
台風はどこへ行ってしまった?

 





 
「新名所」 の浜名湖サービスエリアで。 
みんな、ここで休憩するらしい。




車は再び高速道路をどんどん飛ばし、またたく間に名古屋が近づいた。
「両親を大切にしなくちゃなあ」
などと、運転手は、何を思ったのか、顔に似合わないことを言う。そして、驚くべき速さで車は名古屋に入り、一般道路に出た。


「で、名古屋はどこで泊るんだい?」 
と聞かれたので、ユースホステルに泊りたい、と言うと、地図を調べて、その建物の前まで送ってくれた。
「それじゃぁな」 
と、運転手と助手は、窓から手を振って去って行った。

ユースホステルは、空いていた。となりのベッドに、丸坊主頭の高校生のサイクリストがいた。僕が自転車で北海道まで行って来たと知ると、急に礼儀正しくなり、
「先輩、先輩」 とまつわりついてくる。
「先輩が一番よかった場所はどこでしたか?」とか、
「先輩はどうみても、自転車で北海道まで行った人には見えませんね」
などと、矢継ぎ早に話しかけてくるので、も〜疲れてしまった、っつーの。


食後のレクリエーションでは、集会室でトランプのババ抜き大会があり、トランプや花札に強い僕は勇んで挑戦したけれど、惨敗に終わった。優勝したのは小学生の子どもだった。
「お兄ちゃんは、弱いんだね〜」 
と、その子どもにからかわれた。
「いいえ、わざと負けてくださったのよ」 
と子どもの母親がたしなめる。

ううぅぅ。 僕は、手を抜いていない。 
必死で戦ったのだ。

が〜〜〜〜〜ん。