78 箱根越え

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第77回



長い長い箱根の坂道をエッサエッサと…






毎年1月2日と3日に行われる、東京箱根間往復大学駅伝競走、いわゆる箱根駅伝は、お正月には欠かせない楽しみの一つである。東京の大手町をスタートして、2区鶴見、3区戸塚、4区平塚、そして5区が小田原から箱根山頂・芦ノ湖までの山登り。片道合計110キロ近くの距離を、5人の選手が5時間半余りで走り抜く。中でも圧巻は、5区の箱根の山登りだ。標高差775mを、一気に駆け登る。

箱根駅伝のテレビ中継を見ていると、いつも、この自転車旅行を思い出す。


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8月22日。
平塚の海岸でテントを張って一夜を過ごした僕は、7時にそこを出た。駅伝で言えば、3区から4区の選手へタスキのわたる平塚である。そして、約1時間、その第4区の区間をペダルをこいで、小田原に着いた。小田原は、駅伝の、5区への中継地点である。
時間も、平塚から小田原まで、約1時間だった。かなりの速度で走っていたはずだけれど、駅伝選手とほぼ同タイムだ。

  

  




  
 前方に小田原城




小田原駅で顔を洗い、歯を磨き、弁当を買って食べた。


箱根湯本までは、上り坂もなんとかペダルを漕ぐことが出来たけれども、その先はもうだめだった。自転車から下りた。そして、押した。



 



大平台から宮ノ下を過ぎると、道が分かれている。直進すれば強羅方面である。強羅(ごうら)、という地名に聞き覚えがあった。たしか、中学の東京への修学旅行の折、ここでも一泊したはずだった。この強羅方面へ行く道は、国道138号線である。国道1号線は、左へカーブしている。僕はこれからずっと、国道1号線を外すことなく進まねばならない。1号線は、そのまま大阪まで続いているのだから…。


小涌谷を通り、くねくねと曲がる上り坂をハアハア言いながら登る。


夏の暑い時期だというのに、マラソンの選手が何人も追い抜いて行く。ゼッケンを付けたりはしていないので、大会ではなさそうだ。しかし、体つきといい、軽快なフォームといい、レベルは高そうである。ひょっとして、箱根駅伝のための学生の夏合宿か何かかも知れない。次々と追い越して行くランナーの背中を見ながら、黙々と自転車を押す。よくこんなきつい上り坂を、選手たちはスイスイと走って行けるものだ。


福井県の峠や十和田湖周辺の急坂、北海道の数々の上り坂を思い出す。もう、箱根さえ越えたら、この旅行でのきつい坂道は終わりである。…そう、思いたい。息を切らせ、汗をたらたら流しながら、自転車を押し続ける…。




ここで余談を…。 
話は2年後である。


大阪の繁華街で、高校時代の同窓会が行われた。
その席で、ヒラタという、元応援団長をやっていた男が、
「いま、お前の顔を見て思い出したんやけど…」
と、僕の席にやってきて、こう言った。


「何年か前、クルマで箱根へ行ったとき…
向こうから、自転車を押して上がって来るヤツがいた。
ふとその顔を見たら、お前にそっくりやった。
小さい体も似ていたし、一瞬、お前やないか ? と思ったけど…。
まさかなぁ。 箱根みたいなところで、自転車を押しているって、
そんなわけなぁ、あるはずがないよなぁ … 」


元応援団長のヒラタは、そう言ってガハハと笑い、
「すまん、すまん。 つまらんこと言うたな。 気にせんといてや 」
と、向こうへ行きかけたので、
「それは、ほんまに僕やがな 」 と声を出したけれど、
元応援団長は振り向かぬまま、自分の席に戻ってしまった。 
世の中は、広いようで狭い。




「曽我兄弟の墓」 というところを通り、さらに上りは続く。くねくね坂がいっそう激しくなったあと、ようやく芦ノ湖が見えた。やれやれ…。 やっと着いたか。時計を見ると、小田原から、4時間かかっていた。駅伝選手がここまで1時間少しで走って上がるなど、人間業とは思えない。


ここから道は、下りになった。


芦ノ湖を見下ろすところに、箱根公園という看板が上がっていた。マラソンをしていた人たちも、ここがゴールのようであった。僕のうしろから、まだ何人かの選手たちが走ってきた。


前方に、沢山の女性が、道の両側に立ち、ぱちぱちと拍手をしている。拍手に迎えられて、走ってきた選手たちは次々にゴールインする。自転車で走っていた僕も、その拍手の中を通過した。同じ道なのだから、しようがない。もちろん、彼女たちの拍手は、僕に対してではなく、僕のうしろから走ってくる選手に送られていたものであったけれど…。

 



 

  芦ノ湖





箱根公園で休憩をした。
曇っているので、芦ノ湖はボヤけ、富士山は影も形も見えない。


滝廉太郎の 「箱根八里」 の碑があったので、通りがかりの人に頼み、写真を撮ってもらった。


  ♪ 箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず 〜


というおなじみの歌である。


しかしまあ、自転車で押して上がると、身に沁みてわかる。
箱根の山は、まさに天下の険、なのだ、と。


  
「箱根八里」 の碑の前で。




しばらく休憩して疲れを取り、さて、また出発だ。


道は一度は下ったはずだが、箱根公園を出発したら、また上りになった。午後1時過ぎに、やっと本物の頂上にたどり着いた。箱根峠だ。神奈川県と、静岡県の県境でもある。


1号線はこのまままっすぐ三島へ下りる。左に行くと、熱海、十国峠、という道路標識があった。ここからは、もう間違いなく、ずっと下り坂を走ることになる。


   
箱根峠。 向こうに見えるのは、これより静岡県の標識。




箱根峠から三島まで、怖いほど、延々と下り坂が続いた。両ブレーキを握りしめ、カーブではバランスを崩さぬようにして、緊張を緩めないように、どこまでも、どこまでも下り続けていると、やがて、肩や首がこわばり、腕がしびれてきた。とてもスリリングだったが、ぐたっと疲れてしまう坂下りであった。


国道1号線を、三島から沼津、清水へと走り続けた。







夕方、清水駅で休憩し、台風情報を詳しく知るために夕刊を買った。台風9号が接近しており、これから各地で天候が荒れ始める、とある。明日、8月23日の天気予報を見ると、日本列島すべて雨の予報である。これからめざす名古屋方面は、「風雨が特に強し」 とある。まったく、気分がふさぐ。


どうする?
僕は、悩んだ。
箱根の峠を乗り越えたと思ったら、次は台風の壁である。名古屋まで、まだ200キロもある。しかし、徹夜をして走れば、昼までに着けるかもしれない。台風が、いつ、どこへ上陸するのか、知らないけれど、それがやって来る前に、是が非でも名古屋へ着きたいものである。


今度こそ、徹夜で走ろう…。


徹夜で走り続けた茨城のだっぺの兄さんに、刺激されたこともあった。自分も夜を徹して走ろう…そう思って、東京の手前では張り切ったが、結局、夜の訪れとともに意気消沈してしまい、路傍にテントを張った。よ〜し。 今度こそ!


ここは清水港である。一代の侠客、清水次郎長の土地ではないか。そうと決めたからには、力の限りを尽くして、走ってみせよう。オトコじゃないか。


 ♪ 清水ぅー 港のぉ めいーぶーつはぁー ♪


意気高らかに鼻歌を歌って、僕は清水駅を出発した。