2007-01-01から1年間の記事一覧

82 自転車旅行記総目次

20歳の時の大阪 ⇔ 北海道最北端の自転車旅行の記録です。 1969年(昭和44年)の夏の物語。 気恥ずかしい言い方ですが、 僕の「20歳の原点」です。 目次 (数字をクリックすると記事が出ます) 1 出発の日 2 琵琶湖 3 敦賀から鯖江へ 4 金沢 5 富山 6 …

81 旅の終わり

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第81回 大阪府の標識が見えた。 雨の中を両親に見送られて大阪を出発したのは、6月17日だった。その日が、梅雨入りの日であった。 それから70日が経っていた。 8月25日の朝。 僕は京都の親戚の家を出て、大阪府の柏原市へ向…

80 名古屋から京都へ

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第80回 台風襲来、“禁断”のヒッチハイクに手を出して名古屋に着く 今日は名古屋から京都まで、かなりの距離を走る予定である。時間に余裕がなかったので、名古屋ユースホステルを、早朝に出発した。僕が出発するとき、ユースホ…

79 東名高速道路

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第79回 台風襲来、“禁断”のヒッチハイクに手を出して名古屋に着く 明日にピークが訪れそうな台風9号に直撃されないように、それまでになんとしても名古屋に入りたい…。そう思って、またしても徹夜の走行を試みようとする僕で…

78 箱根越え

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第77回 長い長い箱根の坂道をエッサエッサと… 毎年1月2日と3日に行われる、東京箱根間往復大学駅伝競走、いわゆる箱根駅伝は、お正月には欠かせない楽しみの一つである。東京の大手町をスタートして、2区鶴見、3区戸塚、…

77 房総半島から江ノ島

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第77回 房総半島から三浦半島そして江ノ島へ 新宿の木村屋寮で2泊したあと、金子さん宅で1泊し、フクダさんの下宿では、木村クンと2人で、3泊もさせてもらった。僕はきょう、東京を発つことにしていた。結局、東京には、6…

76 夢の後楽園球場

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第76回 子どもの頃から憧れていた巨人軍、そして後楽園球場 初めて後楽園球場へ行き、巨人・大洋戦のナイトゲームを見た。 後楽園は87年(昭和63年)まで巨人のメッカだった。 (88年からは東京ドーム)。 8月17日。 旅行に出…

75 東京見物

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第75回 金子さんやフクダさん、そして大阪からの友人との再会 フランシーヌの場合は♪ と口ずさみながら寮へ帰ったのは午後9時半。同部屋の星さんは、もう仕事に出ていて、そこにはいなかった。この日もまた、僕は大将の部屋で…

74 東京の街の中

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第74回 映画とかジャス喫茶とか… 東京へ着いたその日、新宿の大将の寮である「木村屋寮」に泊めてもらったが、大将と同室の星さんは、夜勤なので夜遅く出て行き、僕は部屋に一人で寝た。朝になったら、星さんは仕事から帰って…

73 東京へ

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第73回 東京に着き、新宿の大将の寮を訪ねる 水戸を出て、石岡、土浦、牛久と走り、取手で利根川を渡った。 利根川に架かる長い長い橋を渡ったら、ここから千葉県である。 そして我孫子、柏、松戸と進んで、今度は江戸川を渡る…

72 東北をあとにして

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第72回 12日間の東北の旅も終え、関東へ 水戸の黄門さま 8月12日。朝から雨。 いわきユースホステルのロビーで朝刊を見ると、北陸地方は豪雨だという。北陸地方といえば、今ごろあの人たちはどうしているのだろうか。 北海道…

71 福島県いわきへ

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第71回 阿武隈川で茨城の兄さんとテントを張る 仙台を出て、また国道4号線を南へ走る。 名取川を渡り、岩沼というところで、国道4号線と6号線の分岐点があった。4号線は、福島、栃木と内陸を通って東京へ向かい、6号線は…

70 仙台

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第70回 松島から仙台を駆け抜ける 青葉城跡の伊達政宗像 8月10日。 石巻を出発して1時間余り走ると、海が見えた。 多くの島々が点在している。 松島である。 小雨に煙る島々。 この旅行でも最大の名勝地として、期待の大きか…

69 石巻の子どもたち

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第69回 高校の庭にテントを張ると子どもたちがやって来て 夕方、石巻工業高校というところの前を通ったので、学校へ入って行き、当直の先生らしき人に校庭の隅にテントを張らせてくれ、と頼んだら、快く許可してくれた。 ちょ…

68 平泉から石巻へ

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第68回 途中で自転車で転倒して怪我をする 8月9日。平泉の中尊寺を出て、この日は石巻まで行く予定である。一関市内を走っていたとき、この旅行で最大のアクシデントに遭った。 追い風に背中を押されつつ、かなりのスピード…

67 平泉 幻の毛越寺

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第67回 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 中尊寺の続きである。 金色堂へ行き、窓口でサイン帳を出して、スタンプをください、と言ったら、 「50円頂戴します」 と言われた。 ん? 有料? スタンプを押してもらうのに50円?…

66 平泉 中尊寺

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第66回 藤原三代の栄華と 義経最期の地・平泉をめぐる 中尊寺で 平泉で泊まった安ホテルでは、夜も、同じ部屋の泊り客同士がベッド越しに会話を交わし、アレがどうの、コレがこうのと、うるさくて仕方なかった。 夏休みも盛り…

65 雨ニモ負ケズ…

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第65回 花巻は宮沢賢治のふるさとでもある 高村山荘のふところに抱かれての野宿。 そういえば、格好いいが…。 夜中に、雨が降った。人家から遠ざかった山林で、雨の中、たった一人でテントで夜を明かすのも、これが高村山荘で…

64 智恵子展望台

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第64回 高村山荘の裏手にある智恵子展望台に登り、夜はテントで あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川。 高村光太郎の詩集。 特に「智恵子抄」は、十代の頃からの愛読書だった。 高村山荘の背後の小高い山へ登るのが、次の…

63 高村山荘

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第63回 詩人高村光太郎が晩年に一人で住んだ山荘へ、ペダルをこぐ 僕は、何の飾りっ気もない田園風景の中を、ひとり黙々と走る。 農村から山村へと景色が移ろい、やがて人家からも遠ざかって行く。 高村山荘は、山林の中にあっ…

62 啄木・賢治・光太郎

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第61回 啄木の渋民村を出て、盛岡、そして宮沢賢治・高村光太郎の花巻へ 8月7日。 青森方面へ行く水沢市の男性と、盛岡方面を目指す僕とは、方角が反対である。 僕が先に出発し、彼に見送られるかたちになった。 瞬間的な出…

61 啄木の碑に集まる人たち

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第61回 さまざまな一人旅をする人たちとの出会いがあった … 8月6日。まだ僕は岩手県の渋民村にいる。 渋民村の啄木の歌碑の前で、羽入さんを見送ったあと、 僕は、東屋に集まっていた何人かの観光客の輪の中に入った。 僕と…

60 北上川

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第60回 旅行中の多くの風景写真の中でも、この写真が特に好き 啄木のふるさと・渋民村から見た北上川の風景。 旅行中、何百枚と写真を撮ったけれども、 この写真は、特に好きな1枚だ。 きょうは、これだけです。 あしからず。…

59 啄木の碑と1通の手紙

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第59回 啄木のふるさと渋民村で出会った年配の男性と… やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに 啄木 渋民村が近づいてきた頃、前を走る自転車が気になっていた。 サイクリング用ではなく、普通の自転車に、…

58 一戸二戸三戸…

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第58回 八戸を出て、啄木のふるさとに向かう これは現在の地図です。 当時はもちろん、新幹線はありません。 8月6日。 ツカハラ時計店では2泊3日、お世話になった。 出発の時、ツカハラ家の人々は全員、写真撮影に快く応じ…

57 ウミネコの島

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第57回 「八戸名物」のウミネコを見るために蕪島へ 8月5日。 ツカハラ時計店の心地良い布団の上でぐっすり眠ったあとの朝、 一晩中降り続いた雨はまだ止んでおらず、僕は2階に与えられた部屋で、 午前中ずっと、地図を見た…

56 二十歳の原点

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第56回 1969年(昭和44年)とはどういう年であったのか… 1969年の8月5日。 僕はブログの中で、青森県八戸市にいる。 ツカハラ先生の実家の時計屋さんで、お世話になっている…。 そして現在は…といえば、38年後の2007年9月10…

55 ツカハラ家の人々

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第55回 八戸のツカハラ家を訪ねて行けば、親切なご家族に迎えられて 八戸のツカハラ先生の実家で。 先生のご両親、お兄さん夫婦、お姉さん夫婦、妹さん、弟さんたち。 こちらで2泊、お世話になった。 七夕祭りでにぎわう八戸…

54 僕が八戸に行く理由

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第54回 高校の教諭が僕に「八戸に行くならオレの実家へ!」と… 僕が通っている大学の隣に、附属高校の建物がある。 僕はその附属高校の卒業生でもあったので、 大学生になってからも、しょっちゅう附属高校の職員室に出入りし…

53 三沢高校と東京大学

自転車の旅 〜 昭和44年 夏 〜 第53回 三沢高校の大田幸司ってすごいヤツ…だそうだ 僕は、自転車で旅行をしているわりには自転車のことを知らない。 自慢するわけではないが、パンクの修理もできないのである。 車も人も通らないような深々とした山中の悪路…