74 東京の街の中

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第74回



映画とかジャス喫茶とか…



東京へ着いたその日、新宿の大将の寮である「木村屋寮」に泊めてもらったが、大将と同室の星さんは、夜勤なので夜遅く出て行き、僕は部屋に一人で寝た。朝になったら、星さんは仕事から帰ってきた。僕は星さんと入れ替わりに部屋を出て、ぶらりと東京都内の散策に出た。


新宿駅の郵便局で、貯金を7,000円おろした。なにしろ東京だからなぁ…という思いから、いつもよりも多めにおろした。東京のガイドブックを片手に、伊勢丹へ行き、肩からさげるバッグを買った。このバッグがちょっと高くて、1,500円もした。《今となっては、なぜこんな高価なバッグを買ったのか、理由がわからない》


歌舞伎町に行き、映画館に入った。手塚治虫虫プロダクションのアニメ映画「千夜一夜物語」 。「世界で初の大人のためのアニメーション映画」 と宣伝されていた話題作だ。主人公は水売りのアルディンという男。顔はフランスの男優、ジャンポール・ベルモンドそのままだ。アルディンの声は、青島幸男である。アルディンが奴隷の美女ミリアムを見初め、数々の冒険を重ねてゆく。アニメだと思って軽く考えていたけれど、なかなか見応えがあった。この映画の声のチョイ役に、北杜夫小松左京が出ていた。
「声の友情出演」 だそうだ。
二人とも、僕の好きな作家だけれど、声の出演シーンでは、彼らのセリフがあまりに下手くそだったので、すぐに二人だとわかった。久しぶりの映画を堪能して、再び新宿の雑踏に出た。


西口の飲食店に入って、80円の天丼を食べた。そのあと、紀伊国屋書店の本店へ行ってみた。この年、 「新宿泥棒日記」 という映画が、学生の間で評判になった。美術家の横尾忠則が主演した前衛的な作品で、監督は大島渚であった。


ジャン・ジュネの 「泥棒日記」 をモチーフにしていたが、僕もこれを見た。この映画に紀伊国屋書店が協力をしていて、当時社長の田辺茂一も、出演者の一人として、映画の中で飄々たる役者ぶりを披露していた。田辺はテレビにもよく出演し、紀伊国屋=新宿というイメージが定着していた。それだけ有名な紀伊国屋書店だったが、行ってみると案外狭い店だった。


また、映画を見たくなった。
都会を歩き回るという生活を、もうずいぶん長い間していない気がする。映画を1本見ると、また続けて別の映画を見たくなる。


「アートシアターギルド」 というところで、大島渚監督の作品が公開されていた。
大島渚は「新宿泥棒日記」の監督である。 
僕はそこへ入り、「少年」という映画を見た。 
これが衝撃の映画であった。


子供連れの中年夫婦が、子供にわざと車に当たらせて賠償金を取るという、いわゆる 「当り屋」 の話で、実話に基づいたとされる映画であった。 はじめは、もちろん車に当たることを拒否していた少年だが、事情を理解し始め、また、当たったら100円もらえることにも動かされて、やがて継母(小山明子)に、自ら 「やろうか…仕事」 と言うようになる。車に飛び込む少年。実にうまく、車に触れただけで大げさに転倒する。継母が半狂乱になって駆けつけ、少年を抱き上げる。 父は物陰で隠れている。運転手が顔を真っ青にして、
「お金だったらいくらでも払います。どうか示談で」
と継母に懇願すると、横から少年が、呻きながら、
「バカにするな。金がほしくてやってるんじゃないや!」
と叫ぶ。まさに迫真の演技である。


そんなふうに、少年を当り屋にして、一家の全国行脚が続いて行く。そのたどる道が、敦賀、福井、富山と、僕の自転車のコースと同じだった。そして、北海道の最北端まで、この3人は流れて行くのである。先月訪れた日本最北端の風景を目にして、僕は身を乗り出した。当り屋をしながら大地の果てまで来た少年は、ぽつりと言った。
「もっと、日本が広ければいいのにね…」


映画 「少年」 が終わり、引き続いて予告編がスクリーンに映った。立とうとして、中腰のまま、しばらくその予告編を見た。「薔薇の葬列」という題で、モノクロの、グロテスクな映画である。ゲイの世界を描いた映画のようであった。 


…ふと、新潟のエミちゃんを思い出したが、映画のイメージはまるで違う。出演しているのは、俳優ではなく、全員が本物のゲイボーイらしい。うーん、こういうのを前衛ゲイ術というのか、と薄気味悪く眺めていると、ある場面で、主人公らしいゲイボーイが、両目から血を流していた。ギリシャ悲劇 「オイディプス王」 みたいな話のようである。予告編を見ただけでも、身の毛がよだちそうであった。その主人公を演じていた、気持の悪いゲイボーイが、後の池畑慎之介、つまりあのピーターだと知ったのは、ずいぶん後のことである。このときピーターは16歳。 ゲイの界隈では評判の美少年で、六本木でゴーゴーダンサーをしていたところをスカウトされたそうだ。


まぁ、いろいろあります…。


映画館を出ると、すでに、日が暮れかけていた。東京のガイドブックを見ながら、次の行き先を考える。一人ではなぁ、と少しためらいながらも、ジャズ喫茶に行くことにした。「灯」 という店に入り、2階席に座って飲物と軽食を注文した。


中央にステージがあり、ギターを片手に歌っているのは、本物の歌手なのか、歌手の卵なのか、素人なのか、わからない。客席から、曲に合わせて大合唱が起こることもある。何曲かの中で、「フランシーヌの場合」 を聴いたとき、胸が熱くなった。これまで特に好きな歌でもなかったはずなのに、なぜかわからない。


8時過ぎにそこを出て、電話局へ行き、大阪の自宅へ電話をした。東京でしばらく滞在することを知らせるためである。電話に出た母は、意外なことを僕に告げた。


「今朝、西島さんという人から電話があったよ」
「えぇっ! 大将からっ? どこから掛かってきたの?」
「いま大阪に来ているって言ってたけど…。
息子さんと一緒に走ってましたぁ、とか言って、切ったわよ」


やれやれ…。 ため息が出た。
青森で別れた大将は、今ごろ北陸あたりかと思っていたのに、もう大阪に着いていたのか…また、ヒッチハイクをしたのだろうか? いや、日数を考えてみると、むしろ僕の進み具合が遅いのかもしれない。


どっちにしても…
僕が新宿の大将の寮にたどり着いたとき、大将は大阪に着いていた。大阪で、大将は我が家に電話をしていた。 なんだか、おもしろい偶然である。


♪ フランシーヌの場合は あまりにもおバカさん …


さっきからそればかり口ずさみながら、僕は寮への帰途についた。





ジャズ喫茶「灯」でもらったパンフレットから。