75 東京見物

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第75回



金子さんやフクダさん、そして大阪からの友人との再会








フランシーヌの場合は♪ と口ずさみながら寮へ帰ったのは午後9時半。同部屋の星さんは、もう仕事に出ていて、そこにはいなかった。この日もまた、僕は大将の部屋で、一人で寝ることになった。


8月15日。
朝、仕事から帰ってきた星さんから、少し話を聞かせてもらった。星さんは、福島県の出身だそうである。今の仕事は夜勤がほとんどなので、いつまで勤められるかわからない。仕事を辞めたら、福島県まで自転車で帰りたい。そして、できることなら、自転車で日本一周をしたい。そう言って、「いいなぁ、学生さんは…」 と僕を見て、笑った。


この日の10時半に、新宿の三越前で金子さんと待ち合わせをしていた。金子さんは、阿寒湖のユースホステルで会った女性である。金子さんの友だちの名取さんと、3人でオンネトーへ行った。二人とも、青山学院大学の学生だと言っていた。


その金子さんから、東京へ来たらぜひ寄ってね、と言われていた。そしておととい、金子さん宅へ電話をし、今日の待ち合わせとなったのだ。「東京見物に連れて行ってあげるわよ」 と金子さんは言ってくれていた。


金子さんは、僕との再会をとても喜んでくれた。彼女自身、あまり東京の地理には詳しくないようだったけれども、このために買ったという大きな地図を片手に、大奮闘をしてくれた。この人も、善意と親切のかたまりのような人だった。


北海道で、僕が落語が好きだと言ったことを覚えていた金子さんは、まず新宿末広亭へ、地図を睨み、人に道を尋ね、僕を案内してくれた。と言っても、末広亭の、建物を見ただけである。そのあと、山手線で移動して、原宿、明治神宮を歩き、東京オリンピックの水泳場、室内競技場を見てまわった。このときは、あの興奮の東京五輪から、5年が経っていた。




     
    明治神宮


霞ヶ関ビルにも行った。このビルは、前年の1968年(昭和43年)に完成した日本初の超高層ビルで、地上36階、高さ147メートル。 今や東京最大の新名所になっていた。ビルの周辺には、大勢の見物客が集まっていた。


渋谷を歩いていると、金子さんが
「あ、見て。 あのふたり。 ヒデとロザンナよ」
そう言って、近くを通り過ぎて行った男女を指さした。
ヒデとロザンナ! 
あの人気ペア歌手が、普通に街の中を歩いている…。
うーむ。 さすがは東京である、と感心した。


昼食には、ピザの店に入った。


「ピザのおいしいお店を知ってるの」 金子さんがそう言って、渋谷の 「トレヴィ」 という店に連れて行ってくれたのだけど、ピザなんて、食べたことがないどころか、言葉すら聞いたこともない。テーブルに着くと、金子さんが注文し、やがて運ばれてきたピザを、「これは、手で食べるのよ」 と言われて仰天した。箸かフォークを使うものだと思たのだが、手でつかんで食べるなど、インド人じゃあるまいし、なんだかしっくりとこない。でも、この食べ物はそうするのが作法だと言われたので、それに従った。


渋谷から、地下鉄に乗って銀座へ行った。
そして、三菱のタワー。
ソニーのビル。
日比谷公園
皇居…。

金子さんと僕は、再び銀座に戻って、喫茶店に入った。僕はクリームソーダを注文した。 280円だった。新宿の天丼は80円だったけど、銀座のクリームソーダは280円なのだ。


「今夜はうちに泊ってください。 母も会いたいと言ってるから」
金子さんにそう言われたので、好意に甘えることにし、彼女について中野区のお家にお邪魔し、夜はそこで泊めてもらった。金子さんのお母さんは、女優の高峰三枝子に似た美人で、陽気で話し好きな方だったから、会話が途切れることなく弾み、3人で、時間の経つのも忘れて夜遅くまでしゃべり続けた。


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翌16日、朝食を呼ばれたあと、金子さんと僕は、お家を出た。金子さんは、今日も途中まで僕に付き合ってくれるという。


「ウチには高校生の弟がいるんだけどね…」 と道すがらに金子さん。
「お客さんが来ても、いつもなら何の関心も示さないんだけど、 今朝、私たちが食事をしている時に、こっそり覗いていたわ」 
そう言って、彼女はケラケラっと笑った。
「弟は、よほどあなたのことが、気になったみたいね」


僕たちは、午前中は上野動物園と、東京駅へ行った。東京駅は大きすぎて、いつもならすぐに見つかる駅スタンプが、どこに置いてあるのかわからず、金子さんと二人でうろうろ探し回った。やっと見つけた東京駅のスタンプは、わずかに1個だけだった。




      
やっと探し当てた一個のスタンプ。




この日の午後2時に、大阪から来る大学の友人と待ち合わせていた。約束どおり、皇居の楠正成像前に、友人の木村クンが姿を現した。
「じゃぁ、私はこれで…」
と、金子さんは、木村クンにあいさつをしてから、
「大阪へ着いたら、お手紙ちょうだいね」 
と言って僕らに手を振った。


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「おまえ、えらい日焼けしたなあ。 髪もぼさぼさに伸びてるやんか」
木村クンは僕の顔を穴の開くほど見つめて、懐かしそうにそう言った。


今度は木村クンとふたりで、東京見物の続きである。


有楽町から渋谷へ行き、NHK放送センターを見学した。今年の大河ドラマは、海音寺潮五郎原作の「天と地と」である。石坂浩二が、上杉謙信役で主演をしていた。新潟県直江津で、ご当地がこのドラマ一色だったことを思い出す。そのドラマのセットの模型をバックに、写真を撮ったりした。


来年の大河ドラマ「樅ノ木は残った」の宣伝ポスターも貼ってあった。スタジオではちょうど朝の連続テレビ小説 「信子とおばあちゃん」の収録をしていたところで、ガラス越しに、それを覗いたりもした。

 

   




僕は、木村クンに、先輩風を吹かせながら、渋谷周辺を案内した。


夕食に、木村クンを渋谷のピザ店「トレヴィ」へ連れて行った。僕は、昨日学んだ知識を彼に見せびらかしたかったのだ。店に入り、金子さんがしたように、ピザを注文して、木村クンに、「これは手で食べるもんや。 知らんかったやろ」 と、自慢したのだが、案の定、木村クンも、ピザなど食べるのは初めてで、
「手で食べるて…なぁ、ピザちゅうのはインド料理か?」
と、僕と似たようなことを言ったので、思わず笑ってしまった。久々の交歓を祝して、2人で、ビールも飲んだ。


今夜は2人でオールナイトの映画を見よう、と言っていたのだけれども、木村クンが、まさかピザにあたったわけでもあるまいが、急に腹痛を訴え出し、胸も悪くなったと言い、苦しみ始めた。


仕方なく、白老で知り合った明治大学のフクダさんの下宿へ電話した。幸いフクダさんがいたので、そちらへ泊めてもらうことにして、げろげろと唸っている木村クンを連れて、国立の下宿を訪ね、やあやあ、久しぶりだね〜」 と出てきたフクダさんと再会を祝し、
部屋に入れてもらって、さっそく木村クンを横にならせた。


「どう? 元気?」 とフクダさん。
「ん。 まあまあ…」 と、僕。
フクダさんが出してくれたウィスキーで乾杯をした。


東京での4日目も、あっという間に終わろうとしていた。