48 下北半島

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第47回



函館からフェリーで下北半島の大間崎へ行く





7月1日に北海道へ入り、きょう8月1日、北海道を出る。

     



函館から、青森県下北半島の大間までフェリーに乗る。   


    




  

 
その名も、大間ー函館国道フェリー
    




いよいよ本州に戻れる…というので、何となく浮かれる。




 
そして、港を出る。
函館山が遠ざかってゆく…。




8月1日、僕たちは、午後1時半発の下北半島・大間行きのフェリーに乗船した。函館から本州最北端の下北半島までは、わずか2時間で行く。青函連絡船で青森・函館間を航行する時間の半分で着いてしまうのである。


フェリーの中で大将は、船室の隅で座っていた数人の女性乗務員たちを見ると、さっそく彼女たちに近づいて行ってニィ〜っと笑い、
「昔はねぇ、女は、船乗りにはなれねぇ、ってことになってたんだがねぇ…」
などと、話のきっかけを作って無理矢理その中に溶け込もうとする。大将は、強面ではあるが、人懐っこくてどんな人にでもすぐに話しかける。特に、相手が若い女性となるとその姿勢はさらに加速し、ハンパではなくなる。つまり、かなりの女性好きであることが、6日間一緒に走っていてよくわかった。


たとえば、
僕が、女性の自転車日本一周の由見子嬢と函館で会えるかも知れないよ、と言ったら、
「会いてぇなぁ、その姉ちゃんによ」
と、何回もしつこく言っていたし、なかなか会えないことを繰り返し慨嘆していた。非常に関心の深かった由見子嬢と、連絡がとれないまま北海道を離れることが、大将にとっては大きな心残りのようであった。


女性乗務員たちと話に興じる大将から離れて、僕は甲板に出た。海を見ながら、 「飢餓海峡」 という水上勉の小説を思い浮かべていた。


5年前に内田吐夢監督、三國連太郎主演で映画化もされ、評判になった。主人公がこの海峡を小舟でわたり、下北半島の仏ヶ浦の絶壁にたどり着く場面が、鮮烈な印象を残していた。


その男、犬飼は北海道で起こったある事件に関わって追われる身であった。ひとりでボートを漕いで函館から下北へわたり、断崖絶壁で舟を焼いて逃走する。下北の花町で、純心な娼婦八重と知り合った犬飼は、一夜で彼女に惹かれ、大金を渡して姿を消す。その大金のおかげで自由を得た八重は、東京へ出て生活をする。


数年後、八重は忘れ得ぬ恩人である犬飼の顔を、新聞で発見した。京都府に住む名士が、大金をどこかへ寄付したという記事の内容だった。その名士は、名前こそ犬飼ではなかったが、顔はまぎれもなく彼であった。八重にとっては、1日たりとも忘れることのなかった懐かしい顔であった。八重は犬飼に一目会って礼を言いたい一念で、京都府まで行く。そして犬飼に会う。 間違いなく本人であった。八重は涙を流し、かつての礼を言う。犬飼は、八重に、 「人違いだ」 と言いながら、戸惑い、狼狽する。忌まわしい過去を葬り、名前も変えて生まれ変わり、地方の名士として成功した今、八重の出現は、そのまま過去の北海道での犯罪の露見につながってゆく…。ついに犬飼は八重を殺害する。


死体となった八重の所持品から、新聞の切抜きが出たことで犬飼は逮捕される。そして、過去の北海道の事件が発覚し、彼は北海道へ護送される。函館が近づいてくる津軽海峡で、犬飼は、船の上から身を躍らせて海に飛び込む…。


物語は、冒頭とラストでこの海が舞台になっている。「飢餓海峡」 は小説、映画ともに強い感銘を受けた。いま、船の甲板に立ち、海峡の風を浴びながら、映画のシーンを思い浮かべた。


後年、深く感動した映画 「砂の器」 が、この 「飢餓海峡」 と印象が重なる。といっても、もちろんこの自転車旅行とは何の関係もない話だけれど…。


函館が見えなくなったと思ったら、反対側にすぐ本州が見えた。あっけないほど、近い。


フェリーが到着したところは、青森県下北郡大間町、という。北海道に比べると、なんとなくさびれた感じがする。そこに大間崎というところがあり、「本州最北端」 の記念碑がある。
大将と、その岬の海岸で、テントを張った。近くに、東京から車でキャンピングをしているという中年の夫婦がいた。


テントを張り終えると、さっそく近所の小中学生がやってきた。好奇心一杯にテントを覗きこみ、そのうちテントの中に首を突っ込んだり、さらにテントの中に入ってかくれんぼを始めたり、大将が入れた紅茶を飲みたがったり、だんだん大胆になってきた。


彼らの言葉は、なかなか理解しづらかった。
北海道ではそんなことはなかったのだけれども、
本州へ戻ると急に言葉が通じにくくなるから不思議である。


子供たちは、僕と大将に、
「あんたたち、どこから来たの」 
と、大人みたいな口をきく。
そして、「おかあは、どうした」 
と質問するのである。
「おかあ? おかあは、家にいるよ」
僕がそう答えたら、子供たちは、
「どうしていっしょに来なかった?」 などと言う。


「この辺のガキは遠慮ということを知らない。それだけ素朴なんだな」
大将は、相手が若い女性ではないだけに、そんな感想を一言漏らすだけ。あとはもっぱら僕が子供らの相手をする。
「毎日、何をして遊んでるの?」
「いろいろ」
「へぇ、そんないろいろすることがあるのかい?」
「サッカーもする」
サッカー、とは、なかなか進んでいる。子供たちによると、日によっては、ここから函館が見えることもあるという。北海道へはよく行くのかい? と訊くと、数人いた子供の中で、一人だけが、一度行ったことがある、と答えた。
「自転車で、ずっと走ってるの?」
「そうだよ。ずっと走ってる」
子供たちがある種の憧憬のまなざしで僕たちを眺めるのを見た大将は、
「おめえらなぁ、驚くな。女の人で自転車で日本一周をしている人もいるんだぜ」
と、まだ由見子嬢のことを言っている。
「おんな?」
と、一人のこどもが、大声をあげた。そして、
「そのおんな、めんこいけ?」 
と真面目な顔をして、言った。
めんこい → 可愛い という意味なんだろうな。
「知らん。会ったことねーんだ」 大将はそう言ってから、僕のほうを見て、
「で、めんこいのか? その由見子嬢さまは…」
と、ニタニタ笑いながら、またそんなことを訊いた。


夜、中年夫婦と一緒に4人でキャンプファイアーをする。
夫婦は、犬を連れていた。
我が家に生まれたばかりの子犬を残して出てきた僕は、
ジュン、と名づけたその犬の顔を思い出してみた。
6月17日に出発してから一月半で、だいぶ大きくなっただろう…。


少し離れたところに、2人連れのサイクリストがいた。
見ると、テントも寝袋も持たず、海岸でゴロ寝である。
彼らは、岩手県の花巻から来て、明日北海道にわたるという。
「寒くないの? これからの北海道も大丈夫?」 と僕が訊くと、
「まあ、何とかなんべ」
そう言って、2人とも白い歯を見せた



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本州最北端の大間崎。


   
これが本州最北端の碑。


  
大将がテントを張る。
さっそく近所の子供たちが遊びに来る。


  
みんな子供に見える? 
だれですか? そんなことを言うのは…。


  
夕暮れが迫ってくる。 
本州へ戻って、最初の夜である。