47 函館の1日

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第47回



大将と函館の街をあちらこちらと…





函館、朝市の光景




7月31日。早朝から、自転車を押して市内をブラブラと歩いた。
「なんだか、ずいぶん活気があるじゃねぇか」
朝市へ行くと、大将がものめずらしそうにそう言って、あちこちの店を冷やかして歩く。朝からかなりの人出である。昼に店は閉まってしまうので、このへんの人はみんな、朝に買い物をするということだ。


ここの物価は北海道一安い、と地元の人は言う。通りにずらりと生鮮店が身を寄せ、いろんな種類の魚やイカカニなどが並んでいる。商品のスルメをつまんだりしても、何も言われないのでかなりの 「試食」 をした。1軒の店でおはぎと稲荷寿司を買い、店の中に入れてもらって食べた。
店の人は、「ほう、自転車で歩いているだか…。それはゆるくねえね」
真剣な顔つきで僕らと自転車とを眺めていた。


工事現場に立っていたおばさんは、
「おぉ、自転車で…ご苦労さん」 と声をかけてくる。
自転車にくっつけている僕のバッグには、明治大学のフクダさんが、
 “ 白老おもしろかったね ”
と、マジックインキで太く書いてくれていたが、
毛ガニやタラバガニを売っているおばさんが、それを見つけて、
「ちょっとそこの兄さ〜ん。あんた、“白老おもしろかったね” という名前かい?」
などと底抜けに明るい表情で訊いて来る。
僕が 「そうだよ。ちょっと長いけど、いい名前だろ」 と言うと、
「そうかい。そりゃぁおもしろいねぇ」 とゲラゲラ笑うのである。
商売をしているのが楽しくって仕方ない、という雰囲気だ。


2人で郵便局へ行き、それぞれ不要になった荷物を自宅に送った。僕はこれからは使わないであろう、飯盒、防寒ジャンパー、封筒、本、パンフレット類、ランタンなどをまとめて送った。 これで荷物がかなり軽くなった。


午後から何もすることがなくなったので、大将と2人で映画館へ入った。映画館、というのも、むろん旅行では初めてである。洋画の2本立てだった。 ともに退屈なだけの映画であった。僕は大将といっしょだから最後まで我慢して見ていたが、大将も、映画館を出たときに、
つまらなかったが僕に気をつかって、やはり我慢して最後まで見た、などと言った。この大将みたいな人物が、人に気兼ねすることってあるんだ…


北海道も最後となるこの夜は、立待岬でテントを張った。
僕にとっては懐かしい啄木ゆかりの岬でのテントである。
近くに啄木一族の墓もある。


「豪勢にいこうぜ」 と大将が夜の自炊のメニューに意欲を示す。
市場で肉と野菜を買って、ステーキとサラダを作ることにした。
ちょうど近くに遊びに来ていた2人連れの女性が、僕らのテントへやってきて、僕らの料理を手伝ってくれたのも、いっそう豪華なディナーをお膳立てしてくれた。彼女たちは、僕らの野菜の材料で、手際よく見栄えのいいサラダを作ってくれた。ともに顔立ちも整った上に人柄も優しそうで好感の持てる女性であったことから、大将は物に憑かれたように一人しゃべりまくり、がぜん張り切っていた。彼女たちは函館の病院に勤める看護婦さんだと言っていた。
大将はステーキを焼き終えて、
「いっしょに食事をどうですか?」
と誘ったけれど、その親切で美しい女性たちは、にこやかに手を振って帰って行った。
「あ〜あ。行っちゃったよ…」 
いつになく、大将はしょんぼりした。むろん僕も、しょんぼりした。 また、大将とふたりだけになった。


食事のあと、僕らはテントの前の暗い海を黙って眺めた。僕は岩の先端に座り、月を見て、1ヶ月前にここでかりんとうを頬張ったことを思い出した。


1月前。湯川ユースホステルでの同室の人たちとの深夜までのおしゃべりは楽しかった。洞爺湖の湖水祭、白老の騒動、札幌のタブチさんとの再会、稚内の手前でお金を借りた2人組、宗谷岬オホーツク海沿いの悪路、水谷君との出会い、由見子嬢とのキャンプ、湧別の親切なお巡りさん、楽しかった網走、リツ子さんにときめいた知床、辛さに耐えられず自転車を蹴った美幌峠、山奥の阿寒道路、青山学院大学の女子大生たちとのオンネトー探訪、糠平でのショック、どしゃ降りの黄金道路、寒かった襟裳岬。そして、そこから大将と連れだってヒッチハイクに終始した南北海道、そして函館…。海の上に浮かぶ月を見ながら、アポロ11号の月面着陸も懐かしく思い出した。


横でいっしょに夜空を眺めていた大将が、
「あの月は東京からも見えているんだな…」 
と感傷的につぶやいたあと、
「うぉぉ〜!」 と獣のような叫びを上げ、
「ああ、東京へ帰りてぇなぁー!」 
と海に向かって、大声で怒鳴った。







函館の朝市




 



啄木一族の墓のある周辺。 
立待岬はすぐそばにある。