80 名古屋から京都へ

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第80回



台風襲来、“禁断”のヒッチハイクに手を出して名古屋に着く







今日は名古屋から京都まで、かなりの距離を走る予定である。時間に余裕がなかったので、名古屋ユースホステルを、早朝に出発した。僕が出発するとき、ユースホステルの庭で、ラジオ体操が行われていた。宿泊客とスタッフたちが、庭を横切って行く僕の姿を見て、体操をやめ、こちらの方を向いて、全員が、大きな拍手を送ってくれた。その中にいた例の丸坊主の高校生のサイクリストが、
「先輩!あと少しですから、がんばってくださ〜い」 
と手を振ってくれた。




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旅行前は、ユースホステルという存在すら知らなかった僕だった。
それが、金沢で初めて会員証を作ってもらい、それ以降、
宿泊毎にスタンプを押してもらったら、こんなふうになった。


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改めて数えてみると、全部で21泊、17ヶ所に泊まっていた。


  6月20日 金沢ユースホステル
  6月25日 吹浦海浜宿舎 (山形)
  6月26日    〃
  6月27日 八橋青年の家 (秋田)
  6月29日 西十和田ユースホステル (青森)
  7月 2日 北星荘 (函館)
  7月 4日 昭和新山ホステル
  7月 5日 金福ユースホステル (登別)
  7月 6日 白老ユースホステル
  7月 7日    〃
  7月 8日 タイムズホステル (札幌)
  7月 9日 YHサッポロハウス (札幌)
  7月10日 旭川ユースホステル
  7月13日 道北青年の家 (稚内
  7月14日    〃
  7月23日 弟子屈青年の家
  7月24日 阿寒ユースホステル
  7月25日    〃
  7月26日 糠平・泉翠館
  8月11日 いわき市ユースホステル (福島)
  8月23日 名古屋ユースホステル




初めて、金沢ユースで会員証用の写真を撮ってもらったときがなつかしい。あのとき短かった髪の毛も、2ヶ月余り経って、ずいぶん伸びた。




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木曽川長良川と、続けて大きな川をわたる。
ここはもう、三重県である。 
三重県と言えば、近畿地方なのか中部地方なのかよくわからないが、道路をまたぐ高架線に近鉄の特急電車が走っているのが見えたときは、さすがに懐かしさがこみあげてきて、電車に手を振りたかったほどである。

僕が住んでいる場所は、近畿日本鉄道、つまり近鉄の沿線にある。その近鉄の電車が、目の前を走っているのだから、あぁ、ここまで帰ってきたんだなぁ、という確かな実感が湧いてくる。


桑名、四日市と通過し、そこから1号線は西へ入って行く。


亀山からゆっくりと道は上り始め、関を過ぎると坂がきつくなってきた。前方には、まるで壁のように、山々が立ちはだかっている。また自転車を降りて押しながら進む。三重・滋賀県境に、南北に連なる鈴鹿山脈であった。もう、きつい坂道はないものと思い込んでいた僕には、軽いショックだった。身近なところの山脈に気がつかなかったのは、なんとも自分らしい話だ。


鈴鹿峠を越えると滋賀県である。
いよいよ、きょうの目的地の京都が近づいてくる。


それで気が緩んだわけでもないだろうけれど、鈴鹿峠を下り、土山町を過ぎたあたりで急に気分が悪くなってきた。水口町で食堂を見つけたので、そこへ入って休憩した。背中がゾクゾクしたかと思うと、全身に悪寒が走った。熱があるみたいだった。
かき氷のレモンを注文し、しばらくテーブルにうつ伏せになった。運ばれてきたかき氷を食べる元気もなく、うつ伏せたまま、少し眠った。


旅行中、一度も病気らしい病気はしなかったのに、ここへ来て、風邪の症状か何かわからないが、突如体調がおかしくなった。45分から1時間ぐらい、その店で眠っていた。


やがて少し楽になってきたので、再び出発した。


20歳という年齢は、いくらでも無理がきくのだなぁ、と、今、しみじみ思う。あれだけ熱っぽく、悪寒に襲われた体が、しばらく走っているうちに、ウソのように消えてなくなったのである…。


草津から大津へ入り、そこから京都へ向かう道は、6月に通った道である。往路は、大津から、琵琶湖の西側を走って福井県に向かった。


復路、再び大津に戻り、1号線を、逢坂山を越えて京都に入る。2ヶ月余り前に、未知の世界に向かって飛び出したスタートの道へ、僕は、さまざまな思い出を詰め込んで、いま、戻ってきた。


6月に下宿へ泊めてもらった友人は、大阪へ帰っていたので、僕は、京都の親戚の家に行き、この日はそこで1泊をした。


体調は、すっかり元に戻っていた。
この旅行も、泣いても笑っても、あと1日だ。




 
箱根が最後だと思った険しい坂道は、まだここにもあった。