73 東京へ

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第73回



東京に着き、新宿の大将の寮を訪ねる







水戸を出て、石岡、土浦、牛久と走り、取手で利根川を渡った。
利根川に架かる長い長い橋を渡ったら、ここから千葉県である。


そして我孫子、柏、松戸と進んで、今度は江戸川を渡る。
ここから東京都に入る。


めざすは、新宿の大将が住民票を置く寮である。
いま、大将は仕事を休職中で、自転車旅行中だ。
「東京へ行ったときは、必ず寄ってくれよ」
と、青森県で別れたとき、くれぐれも言われていた。
そこは、「木村屋寮」 というところである。
住所は、むろん大将から、手帳に書いてもらっていた。




 
いよいよ東京都内へ入った。




東京に入ると、当たり前のことだろうけど、車が多い。 信号も多い。


新宿というのは大体このあたりだろう、と、いい加減な見当をつけ、西へ西へと進んでいたつもりが、どういうわけか、前方に海が見えてきた。知らず知らずのうちに、東京湾へたどり着いてしまったのだ。


なんだこれは…と思いながら、道行く人に尋ねたら、ここは月島というところだと教えられた。
「ツキシマ…?」
そう言われても、わからない。 聞いたこともない地名である。まぁ、何を言われても、ほとんど知らない地名ばかりだけど…。


商店街のような人通りの多いところに、交番があったので、そこへ入った。
「新宿へ行きたいのですが…」 
と言ったら、おまわりさんは僕の風体を見て、
「自転車旅行かい? ほほぅ〜。 まぁまぁ、休んでいきなさい」
そう言ってもらえたので、僕は交番の表に自転車をとめて、中へ入った。
「暑いだろう? これ、飲んでよ」
と、氷の入ったソーダ水を出してくれた。
とても親切な、若いおまわりさんである。 


…と油断していると、隙を見て、拳銃を突きつけ、
「怪しげなやつ、な、名を名乗れぃ!」 
と言うんじゃないだろ〜な。
(な〜んて、ふと考えてしまう僕は、やっぱりアホか…)
もちろん、そんなことはせず、本当にやさしいおまわりさんであった。ソーダ水は甘く冷たく、さわやかな炭酸の味覚が、なんとも言えなかった。


新宿への道を教えてもらい、10分ぐらい話した後、外へ出ようとした。すると、驚いたことに、交番の前の狭い道が大勢の人たちで埋められている。何十人という人々が、ひしめき合って、僕の自転車を眺め、
「自転車で日本一周しているんだってよ」 
などと、口々に言い合い、そして中から出てきた僕を、わぁっ、とみんなで取り囲んだのである。


「さあさ、皆さ〜ん、道をあけてあげてくださ〜い」
と、おまわりさんは、僕のために「交通整理」をしてくれた。
そういえば、新宿の大将から餞別代りにもらったヘルメットに、「日本一周自転車旅行」 と書いてあったのが 「誤解」 を生んだのだ。大将は、贈り主である自分の旅のことをヘルメットに書いたわけだけど、それを自転車にぶら下げていたら、誰でも僕が日本一周だと思うだろう。まあ、せっかくそう思われたわけなので、わざわざ否定することもないし、にわかヒーローになった気分もまんざらではなく、僕はその人たちに、手を振って、おわまりさんにもお礼を言い、その場を離れた。まさか、東京みたいに、何があっても珍しくないようなところで、これほど珍しがられようとはなぁ…。 思いもしなかったことである。


月島の交番のおまわりさん、ありがとうございました。
ソーダ水、美味しゅうございました。
道に迷って、むしろよかったです。


交番できちんと方角を教わったはずなのに、皇居の付近を走っていると、また新宿への方向がどっちだったか、わかならくなった。


信号待ちで、きょろきょろしていると、単車のおじさんが近づいてきて、
「どこまで行くの?」 と尋ねてくれた。
新宿だと答えると、「どこから来たの?」 と質問した。
手短に旅行の内容を説明したら、おじさんはコックリと頷き、
「じゃぁ、新宿までオレが案内してやるさ。 ついて来なさい」
と言い、そこから、僕の自転車の速度に合わせ、何度も何度も振り返りながら、ゆっくりと先導してくれた。


だいぶ走ったような気がした。 
「お疲れさん。 新宿に着いたよ」
おじさんは、50歳前後に見えた。 もう少し、年配かもしれない。
「その木村屋寮ってのは、近くのはずだ。 まあ、お茶でも飲もう」
と、おじさんに誘われるまま、喫茶店に入った。僕はコカ・コーラを注文した。


「いやぁね、最初に君を見た時は、房総半島一周ぐらいしてるのかなって…」
と笑いながら、旅行の話を少し聞かせてほしいんだ、と言った。僕がひととおり話し終えたら、次におじさんは、自分のことを切り出した。


若い頃、親の反対を押し切り、テントで日本全国を旅行した経験がある。今も単車が好きで、近郊だけど、あちこち走り回っている。君を見ていると、若い頃の自分を思い出す…。


…そういう話であった。
僕が名刺を渡し、その人の住所を聞こうと手帳を取り出したら、おじさんはその手帳を手元に寄せて、僕からボールペンを受け取り、自分の住所と、詳しい地図を描き、もし木村屋寮というところで、何かの都合で泊めてもらえないようなことがあったら、遠慮なくうちに来て泊まりなさい、と言ってくれた。世田谷区の在住で、新宿から自転車で30分程度だという。


斉藤さん、と名乗ったそのおじさんは、別れ際に、「久しぶりに面白い話を聞かせてもらったよ。この旅行は、君の将来にとって、本当に貴重な経験だな」そう言って、きりっとした笑顔を見せた。


世田谷の斉藤さん、ありがとうございました。
コカ・コーラ、美味しゅうございました。
道に迷って、むしろよかったです。


それにしても、東京には親切な人が多い。
なんだか、イメージとは違っているな。


幸か不幸か、斉藤さんのお世話になる機会は来なかった。
そのあとすぐに探し当てた木村屋寮でも、歓迎を受けたのだ。
「はいはい、聞いているよ、西島さんからね〜」
僕を見るや否や、寮のおばさんは満面に笑顔を浮かべて
「よ〜く来てくれたわね。 この間、西島さんから電話があったわ」
そう言って、大将の部屋に案内してくれ、そこにいた同室の星さんという若い男の人と、もうひとり、田辺さんという男性に、僕を紹介してくれた。


「何日でも泊まって行ってくれたらいいのよ」
おばさんはそう言って、部屋を出て行った。


星さんも、田辺さんも、ともに穏やかで気さくな人だった。


夜は、2人の案内で、新宿西口にある大衆食堂で食事をした。値段が、びっくりするほど安かった。西口の周辺は、ギターを弾いて大合唱している若者たちもいたし、人ごみの中から噴出するものすごい熱気には、圧倒されるばかりであった。路地には、シンナーを吸っている薄気味悪い男たちも沢山座り込んでいた。テレビなんかで見ていたとおりの、東京・新宿の姿であった。


東京、なぁ…。
これが、新宿西口、なぁ…。
僕は、ここまでの旅で感じたことがなかったエネルギッシュな臭気を、鼻から思いっ切り吸い込んで、くしゃみが出るみたいな妙な気分だった。


1969年夏。 
新宿西口が、混沌の中で、最もエキサイトした直後の頃だった。