66 平泉 中尊寺

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第66回



藤原三代の栄華と 義経最期の地・平泉をめぐる





  中尊寺




平泉で泊まった安ホテルでは、夜も、同じ部屋の泊り客同士がベッド越しに会話を交わし、アレがどうの、コレがこうのと、うるさくて仕方なかった。


夏休みも盛りになって、平泉のような観光地には、全国から人が集まってくる。1泊500円のステーションホテルの部屋には、学生みたいなのがウヨウヨいる。もちろん、僕もそのウヨウヨ族の中のひとりであるのだが…。それでも僕は、夜はすぐ眠くなるので、たいていは、おとなしくしている。


その日、部屋の中は、一人旅の宿泊客がほとんどだったが、中にひとり 「論客」 がいて、マルクスの 「資本論」 について滔々と述べるのだ。その声が耳に響いて、疲れた体をゆっくり休める気分に浸れない。まぶたが重くなり、ウトウトし始めると、
「ベンショウホー的ユイブツ論によるとだなぁ、シホン主義社会の矛盾はだなぁ…」
などとカン高い声が耳に飛び込んできて、目が覚めるのである。


山の中で一人寝ていると、あまりの静けさに心細くなって眠れないし、賑やかなところだと、これもまた、うるさくて眠れない…。
どうも困ったものである。




   
値段が値段だから、贅沢は言えない。






 
平泉の駅前では、「乗り合い馬車」が…




翌日、ステーションホテルで精算したあと、自転車と荷物を預けたまま、僕は、歩いて中尊寺の見学に出かけた。


参道に 「月見坂」 という標識が建っていた。
そこを上って行くと、すぐに 「弁慶の墓」 があった。
そばに、弁慶堂、というのもある。

途中で見晴らしのいいところに出て、国道4号線と鉄道の向こう側に、うっすらと川が見えたので、そのへんの人に、
「あれは北上川ですか?」 と尋ねると、「衣川だよ」 という答えが返ってきた。




 
衣川が見える




北上川と衣川の区別もつかない僕だけれど、衣川といえば、義経や弁慶が、討死をしたところとして、地名としての知識だけはある。
「はあ…。 あれが、衣川 … なぁ」
もともと地勢に不案内な僕なので、なかなかピンと来ない。
じゃぁ、北上川は、どこへ行ってしまったのだ?








  








本堂を通り過ぎて、さらに奥へ行くと、讃衡蔵というところがあり、中尊寺の拝観券が、150円で販売されていたので、それを買った。そして、中尊寺に伝わる、多彩な国宝や、文化財を見て歩いた。義経主従と藤原秀衡が対面している絵画に、何となく、胸に迫るものを感じた。