70 仙台

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第70回



松島から仙台を駆け抜ける





青葉城跡の伊達政宗




8月10日。
石巻を出発して1時間余り走ると、海が見えた。
多くの島々が点在している。 


松島である。




 




 
 小雨に煙る島々。




この旅行でも最大の名勝地として、期待の大きかった場所だ。
日本三景の一つとして、小学生のときからその地名にはなじんでいた。


松島タワー、というのがそびえ立っていた。
これはぜひ上らなければならない。


展望台に上がって外を見ると、たった今、雨が降ってきたようで、
景色はずいぶんかすんでいた。
しかし、いくらぼんやりとした景色であっても、目の前の光景は、
これまで、何度も写真や映像で見た松島に違いなかった。
京都の丹後半島に叔母が住んでおり、そこから近い天橋立には、
何度も行ったけれども、松島のほうが風景は多彩である。
僕は、現実の松島を目の前にして、感無量であった。


しかし…
松島タワーの展望台は、気持ちの悪いほど揺れていた。
最初は地震が来たのか、と思ったほどだ。
ゆ〜らゆ〜らと、大きく揺れ続けていた。
そんなに強い風も吹いていないのに、この揺れ方は普通ではない。
沢山のお客がいたが、誰も怖がっていないのが不思議だった。
「このタワーは、今年中に倒れるのではないかと心配です」
と、そのあと、僕は友達への手紙にそう書いたほどである。


  最近、松島タワーはどうなっているかと思ったら、
  なんと、すでに取り壊されていて、今はないのだそうだ。
  やはり、揺れが激しかったので、倒れる前に撤去したわけだ。
  あの揺れを保ちながら、特殊工法でタワーを存続していたら、
  イタリアのピザの斜塔ばりに有名になっていたかもしれないが…。
  でも、耐震強度がモンダイになる前に始末したのは、賢明だったよね。

 

       


           今は無き松島タワー。


   
      

松島タワーを後にして、僕は次の目的地である仙台へ向かった。
塩釜市を通り過ぎ、仙台まで、1時間半ぐらいだった。


驚いた。
仙台がこのような大都会だったとは、夢にも思わなかった。
大阪から日本海側を通り、北海道を一周したあと、
太平洋岸をここまで走って来たけれど、こんな賑やかな都会は、
北海道の札幌以来である。 路面電車も走っている。 
仙台駅も、これまでの駅とは比べ物にならないぐらい大きい。
久しぶりに味わう都会の空気に、大阪へ帰ってきたような気分になる。


仙台郵便局で、局留めで届いている友人たちの手紙を受け取った。
しかし、思ったより手紙の数が少ない。 
もう少し届いていてもおかしくない。
僕は、郵便局員の男性に、「これだけですか?」 と尋ねた。
「これだけのようだがね…。」 と男性は、ちょっとためらって、
「う〜ん。いま、郵便が、少し遅れているからね〜」 と言った。
なんでも、郵便関係の組織の中で紛争が起きており、
それで郵便物の配達が遅れている、と、男性は短く説明した。
< ストなのか…? > 
郵便局のスト????
そんなことがあるのかどうか、よくわからないけれども…。


手紙の郵便局留めは、タイミングがむずかしい。
僕が大阪の友人たちに手紙を出して、そのついでに、
「次は○○郵便局に返事ください」
と書くのだけれども、結果的にそれに間に合わなかった、
というケースが何回かあり、帰ってから文句を言われたりした。


青葉城址へ行った。
坂道がものすごく急である。 自転車を押して上がるのが苦しい。
上がりきったときは、へとへとになっていた。
伊達政宗の像や、土井晩翠の詩碑などを記念撮影する。
青葉城址から、仙台の市内を一望できた。
久しぶりに展望の開けた、都会の風景を目にした。





青葉城跡から見た仙台の街。 
     




伊達政宗の胸像。





土井晩翠「荒城の月」の碑の前で