71 福島県いわきへ

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第71回



阿武隈川で茨城の兄さんとテントを張る






仙台を出て、また国道4号線を南へ走る。
名取川を渡り、岩沼というところで、国道4号線と6号線の分岐点があった。4号線は、福島、栃木と内陸を通って東京へ向かい、6号線は相馬、いわき、水戸と太平洋側を通って東京につながっている。僕は、数日前から、6号線を走ることに決めていた。地図を見ると、4号線はいかにも山の中を走るイメージが強く、それに比較すると6号線は海岸沿いだし、わずかでも道は平坦であろう…。そんなセコい考えを判断基準にしたのだけれど、結果的にはむしろ海に近い道のほうが起伏が大きいということを知らされることになったのは、まあ、あとの話である。


その4号線と6号線の分岐のあたりで、大きな川が現れた。
橋に、阿武隈川、と書かれてあった。
あの「智恵子抄」に出てくる阿武隈川だ。
土手や河原が、いかにもテントを張りやすい形で広がっている。


 <今日はここで野宿をしよう>


そう決めた僕は、自転車を止めて、テントを張る場所を探しながら川の土手をうろついた。


そのとき、向こう(東京側)から一人、僕と同じぐらいの年齢のサイクリングの男性がやって来て、僕の自転車の横で止まった。僕がこれから何をしようとしているのか、わかっているようだった。そして僕に向かって、「こごはテントが張りやすいようだっぺ」と、話しかけた。
「今夜はここで泊まろうと思って…」 
と僕が言うと、彼は、
「じゃ、今日はこごで一緒に泊まっぺが」 
と笑顔を振りまいた。
そして、その笑顔以上に、強い訛りが、親しみを感じさせた。


思いがけなく、野宿の仲間ができた。うれしいことである。そして、ふたりで適当な場所を見つけ、隣同士にテントを張った。
「どこから来られたのですか?」と僕が質問する。
日立市からやってぎましたが、一晩中走り続けで、
今日も1日走ってごごまで来ました。
これから10日間をかげで北海道さ行きでえど思っています」


日立といえば茨城県だ。
茨城弁…というのは、本当に強烈なんだなあ。
その…訛り方が、ね。


「あなだは、どごから自転車さ乗っかって来たんですが?」
今度は僕が質問されたので、簡単にこれまでの行程を説明した。
茨城のお兄さんはそれを聞いて、
「大阪から? それは大変なことだっぺ。 でも、すばらしいことではねえですが!」 
と感心してくれた。
そして、「明日は一気に盛岡まで自転車で走りでえど思っています」
と言ったので、今度は僕が、その活力に驚いた。


僕は、盛岡からここまで、どれだけの時間を費やしたであろうか。盛岡駅を通過したのは8月7日で、その日は高村山荘で泊り、翌8日は平泉で泊り、次の9日は石巻でテントを張り、そして今日10日、1日かけて松島、仙台、岩沼と走ってきたのである。途中、寄り道はしているけれども、僕が3日かかったコースを、明日1日で走ろうというのはすごい。しかも、すでに、日立からここまで、夜通しで走ってきているのだ。う〜ん。 この茨城のお兄さん、ものすごい体力だっぺ…。


8月11日。
朝。また雨が降っている。
僕はふてくされ、そのまま寝続けてやろうかと思ったが、隣のお兄さんに起こされたので、仕方なくテントから出て、支度をし、僕たちは左右に分かれて出発した。


あ〜、国道6号線は坂道の連続である。
4号線にすればよかった…。
うじうじと後悔しながら、ペダルを踏む。


相馬市に入り、そこの郵便局で、5,000円を下ろした。


僕はこの旅行の出発に際して、5万円の旅費を用意した。
今の若い人には当時の物価がわかりにくいと思うが、
煙草やコーヒーがだいたい100円、
カレーライスが100円から150円ぐらいだった。


ここに示しているのが、僕の通帳である。





6月16日。 この旅行の出発前日に、僕が住んでいた大阪府柏原市の郵便局に5万円を貯金した。そこから、相馬の郵便局まで、計9回、お金を下ろしている。通帳の下に、左から順番に各郵便局長の公印が押されている。


6月16日 柏原郵便局長
7月 2日 函館駅前郵便局長
7月 7日 白老郵便局長
7月14日 稚内郵便局長
7月23日 弟子屈郵便局長
7月28日 川西郵便局長 (北海道・帯広市川西町)
7月31日 函館駅前郵便局長
8月 4日 横浜郵便局長 (青森県下北半島
8月 7日 盛岡郵便局長
8月11日 相馬郵便局長


相馬郵便局で、残金は12,000円になった。
実は、このあと、千葉で親から送金してもらっている。
だから、最後まで5万円で旅ができたわけではない。


雨が止んだ。
原町、というところで、食堂に入り、カレーライスを食べていると、僕のテーブルに、ひとりの男の人が寄ってきて
「君! 君だね! いま、こんなところを走っているの?」
と、僕の顔をのぞきこんだ。
見覚えのない顔である。
「はあ??」
と僕が首をかしげていると、
「ツカハラさんのところで会ったろう? 君、ツカハラさんとは親戚なの?」
男性は、そう言った。
「あ、ツカハラさんのところで…」 と僕は記憶をたぐってみた。
ツカハラさん、というは、青森県八戸のツカハラ時計店のことである。高校時代の教師の実家であり、その紹介で、僕は今月の4日と5日の2泊を、ここでお世話になった。そのとき、この男性は、ツカハラ家にいた僕を見たのだろう。でも、僕はこの人の顔を、まったくおぼえていなかった。


「大阪? まだまだ遠いねえ。頑張ってねェ」
そう言って、男性は、食堂から出て行った。


そうです。大阪は、まだまだ遠いです。


この日は、いわき市にあるユースホステルに泊る予定だった。
女性の自転車日本一周の由見子嬢が、
「建ったばかりでピカピカの施設だから、とても気持ちいいよ」
と、ここを勧めてくれていたので、もし、国道6号線を通るなら、そこに泊まろうと思っていた。


原町から、かなりの距離を走った。
途中で、犬に追いかけられた。ワンワンキャンキャンと吠えて、僕の自転車を追いかけて来る。追うだけでなく、ペダルを踏む足元に飛びついてくるから迷惑だ。普通はすぐにあきらめるものだが、この犬はしつこかった。僕が無理やりにスピードを上げてそれを引き離すまで、距離にして1キロ以上追いかけてきたと思われる。ようやく相手があきらめたと知った僕は、いったん自転車を止め、振り返ってそいつを眺めた。
50メートルぐらい向こうで、息を切らせたのか舌をダランと出して、その犬は立ち止まったまま、こちらを向いていた。
「だははは。ざまあ見ろ。あかんべぇぇ! さらばじゃ!」
と、かちどきを挙げて見せると、そいつはまたワンワンと吠えて、まっしぐらにこちらに走り始めてきたので、僕は驚いて自転車を走らせた。その粘りと根性を、僕にも少し分けて欲しいような、しつこい犬であった。


夕方、やっといわき市に着いた。

その施設は、正式にはいわき市ユースホステルといった。昨年5月に新築オープンしたので、由見子嬢が言ったように、何もかもが新しくて気持ちよく、そのうえ、ここは観光地ではないので、予約なしでも、部屋は十分に空いていた。風呂に入って一息つくと、本当に天国である。


ここにもさまざまな旅行者が宿泊していた。
5万分の1の地図を睨みながら、ローカル線と徒歩で、コツコツと旅している男性は、旅の素晴らしさを話し続けた。


  未知の土地で見知らぬ人々に会い、さまざまな経験を積んで
  我々は鍛えられ、成長する。
  旅こそ人をして人格を向上させる最大の人生の教師である…。


そんなことを、食事の終わった後のミーティングで力説するのだ。


その横に、九州から来ている男性が座っていた。
その男性は、ギターを抱えて全国を旅をしている、と言った。
ふ〜ん。 ギターを抱えて、なぁ。
あんたは、 … 小林旭か ?












  今日の行程