59 啄木の碑と1通の手紙

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第59回



啄木のふるさと渋民村で出会った年配の男性と…






やわらかに  柳あをめる  
北上の  岸辺目に見ゆ  
泣けとごとくに    啄木





渋民村が近づいてきた頃、前を走る自転車が気になっていた。


サイクリング用ではなく、普通の自転車に、男の人が乗っている。
白い帽子に白いシャツ、白い半ズボンを履いた姿で走っている。
この辺に住んでいる人が、どこかへ用を足しに出かけているところなのか、
あるいは僕らと同じように、自転車旅行をしているのか…
後姿を眺めているだけでは、見分けがつかない。
荷物は少なそうだけど、旅行と言えば、言えそうなぐらいの量はあった。
僕のほうが少しだけ速度を上回っていたので、徐々に近づいて行き、
後ろにピタリとつくかたちになったので、追い越すことにした。


真横に並んだとき、チラリと顔を見たら、60歳ぐらいの男性だった。
あ、地元の人だったんだ、と認識した僕は、黙って追い越して前に出た。
すると、
「ご苦労さまです!」 と声がかかった。
振り向くと、日焼けとシワで、60歳をもとっくに越えているかのような、
シブい風貌のそのおじさんが、片手をあげて敬礼のような格好をした。
まさかなぁ? と首を傾げつつ、僕はそのおじさんに、
「自転車旅行ですか?」 と尋ねてみた。
「はい。 そうでございます」
まことに丁寧なものの言い方で、僕は思わず自転車から転げ落ちかけた。


同じ自転車旅行と聞いたからには、すぐに離れることもないだろうと、
僕は少し速度を落として、おじさんの自転車の横に並んだ。
しかし、そこからはおじさんは黙々とペダルをこぐばかりだ。
どうも、年配の人だから話し好きだろうと思ったのは、こちらの先入観だった。
仕方なく、僕のほうから話を切り出す。


「どちらから来られたのですか?」
「青森の、十和田です」
「どこまで走られるのですか?」
「東北を、一周しようと思っております」
「はぁ…」
「昨年は関西と四国をまわりました。 一昨年は北海道でございました」
「はぁぁ…。 で、来年は、九州かどこかに?」
「はい。 そのとおり、九州を考えております」
「いや、すごいです。 ほとんど日本一周じゃないですか」
「はい。 さようで…」


会話はそこで途切れた。


上り坂にさしかかると、おじさんの自転車は変速がきかないので、
また少し、ペースが落ち気味になってきた。
「その自転車だと、坂を越えるのが、大変ですね」
と、僕は声をかける。
「いやぁ、坂なんて大したことありません。 いくらでも越えますよ。
 あたしゃぁ、すでに60の坂も越えちゃってるんですから」
な〜んて言ってくれたら、会話も弾むんだけど、おじさんは、そうは言わない。
坂道は大変だとも、平気だとも、口に出さない。
ひたすら恐縮したように、ペダルをこぐだけである。


「では、お先に行きます」
と僕はそのおじさんに挨拶をして、自分のペースに戻した。


国道の右手に岩手山が美しく聳え、左手には姫神山が絵のように浮かぶ。


渋民村の啄木歌碑は、ちょうどふたつの山に抱かれるようにして立っていた。


     やわらかに  柳あをめる  
     北上の  岸辺目に見ゆ  
     泣けとごとくに    啄木


歌碑の横に東屋があり、ちょっとした観光客の休憩場所になっている。
若い女性グループや、何人かの若い男たちが、周辺にいた。
その東屋の横に、自転車を止めて、僕も歌碑を眺めた。


しばらくすると、さっきのおじさんがやってきた。
おじさんも、ここで自転車を止め、歌碑の前に立って、感慨深げに眺め始めた。
僕が、「さきほどは、どうも…」 と、近づいて行くと、
おじさんは律儀に一礼をしたあと、きょろきょろ周囲を見回して、
「あぁ、きょうも写真屋さんはいないのですね」
そう言うと、悲しそうな表情をした。


「私がこの歌碑を訪れるのは、この30年間で今日が4度目です。
 来るたびに歌碑の向きが変わっています。 でも、写真屋はいつもいません。
 だから、私はここでまだ写真を撮ったことがないのです」
おじさんが、悲しそうな顔をした理由は、写真屋さんがいなかったことだった。


この啄木の歌碑は、たしかに観光地となっているようだし、
今も何人かの人たちが、ここを訪れているけれど、
どちらかと言えば、のんびりした自然の中にポツンと存在するという感じで、
決して派手に賑わうようなこともなく、素朴なたたずまいを漂わせている場所だ。
こんなところに、写真屋さんが待機しているとは、あまり思えないんだけど…。


「それじゃ、僕のカメラで撮りましょう。白黒ですけど、いいですか?」
僕がそう言うと、おじさんはパッと顔を輝かせて、
「そうですか? いや、ありがたいです。 ぜひ、お願いします」
「じゃぁ、そこに立ってください。 行きま〜す」


写真を何枚か撮り終えて、おじさんと住所を交換した。
その人は、羽入さん、と言った。
住所は十和田だったが、勤務しているのは青森県六ヶ所村というところだという。
そこにある 「倉内小学校」 という学校で、ふだんは寝泊りしているのだそうだ。
住み込みの校長先生なのかも知れない。
「大阪に帰ってからになりますが、写真は必ず送らせてもらいますね」
「ははっ。 よろしくお願いいたします」
そう言って、羽入さんは僕に深々とお辞儀をして、自転車にまたがった。
「では、気をつけて行ってください」
僕は、きょう、ここで野宿をするつもりだった。
「はい。 あなたも、ご無事で故郷へ帰られますように」


羽入さんの、後姿を、見送った。



   
    羽入さん
     



 〜 その後 〜


大阪に帰ってから、数枚の写真を羽入さんの御自宅に送った。
9月21日付で、その羽入さんから礼状が届いた。
筆で書かれた、丁重極まる手紙であった。


 
 

拝啓 いつの間にか秋がやって参りました。
去る十六日急用のため夕方から夜にかけて十和田の実家に帰りましたところ
○○さんからの写真が届いておりました。 三十年前から夢にまで見ていた
あの場所での写真は、全く偶然に知り合った大兄から頂くことになりました。
厳に謹んでお礼を申し上げます。 カラーでなくても、あの山、あの川、
あの場所が好きなのです。 本当に有難うございました。
唯、もっと若かったつもりの私が、変に年取った姿で、思わず苦笑しました。
九州一周は、四国より更に慎重に計画を進めなければならぬと思い…(後略)




こんなにまで喜んでもらえるとは夢にも思わなかった。
おまけに 「大兄」 などと呼ばれちゃって…


羽入さんは、その年の冬、段ボール箱一杯にリンゴを送ってきてくださった。


それ以後、毎年、年賀状の交換を続けていた。


   ………………………………………………………………………


それから10年以上の歳月が流れたある日、
わが家に、ひょっこり羽入さんが姿を現したときは、びっくりした。
僕も30何歳かになっていて、小学生になる子供も2人いた。


日曜日の午後…。
チャイムが鳴り、妻が外出中だったので、たまたま僕が玄関に出た。
そこに、ジャージを着て、リュックを担いだ羽入さんの姿があった。


「えぇっ?! は、は、羽入さん、ですか? うっそ〜!!!!」


頭髪が薄くなり、それなりのお年は感じさせたけれど、
痩身で精悍な風貌は変わっておらず、もちろん一目見てわかった。
しかし、相手の羽生さんは、僕を見て、もっと驚いた表情をした。


「あ、あなたはッ…。 なんと、あなたは…」
僕の姿を見て、羽入さんは絶句した。 なんでなの…? どうして…?
「羽入さん。 ちょっと、羽入さん。 どうされたのですか?」
握手をしようとした僕だけど、とりあえずその前に、驚きのわけを訊いてみた。
「あ、あ、あなたは…、あのときと全然変わっておられない。
 あれから10数年も経っているのに、あなたがどれだけお変わりになったか、
 私はいろいろ想像していたのですが、… あなたは、なんと、あの時のままです。
 あまりのことに、驚いたのです」


そ〜か。
そ〜ゆ〜ことだったのか。
僕はあれから、背も伸びていない (あたりまえだ)、 
顔も変わっていない (のであろう、と思われる)。
相変わらず子どもみたいで、人から30歳代に見られたことがない。
家にセールスなんかが来て僕が出ると、相手はたいてい
「あれぇ? 家の人、誰もいないのぉ…?」 とか、
「お母さんは、留守かい?」 などと、この家の主人に向かって、言うのである。
しかし … それは、まあいい。


羽入さんは、今日、兵庫県尼崎市で行われた、
「壮年マラソン」 に参加してきた、とのことだった。
東大阪市に知人がいて、今夜は、そこに泊まることになっているが、
僕の住む藤井寺市が近くだったので、寄ってくださったという。
羽入さんは、もう70歳にはなっておられるはずだけど、
ラソン大会に出場したとは、相変わらずの壮健ぶりである。


わが家で1時間ほど談笑したあと、
「どうも、突然お邪魔いたしまして…。 青森にもお越しくださいませ」
そう言って、羽入さんは、細い身体をぺこりと折り曲げた。


最寄のバス停まで羽入さんを案内した。
バスの窓越しに、羽入さんは、なんども頭を下げておられた。
僕は、バスが見えなくなるまで手を振った。
たぶん、羽入さんは、後部の窓からまだお辞儀しておられるはずだったから…。


ラソンか…。
いいな。 
僕も、マラソン、やってみようか…。
帰り道、そう思いながら歩いた。
それも、もう、今から四半世紀ほど前のことになった。


羽入さんとは、いつの間にか、年賀状のやりとりが途絶えていた。