55 ツカハラ家の人々

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第55回



八戸のツカハラ家を訪ねて行けば、親切なご家族に迎えられて






八戸のツカハラ先生の実家で。 
先生のご両親、お兄さん夫婦、お姉さん夫婦、妹さん、弟さんたち。
こちらで2泊、お世話になった。





七夕祭りでにぎわう八戸の町。
市内の一角にある小さな商店街の中に、ツカハラ先生の実家はあった。
10年前に 「親に勘当されて家を飛び出した」  という先生に代わって、
へんてこな自転車旅行の男が  「教え子です」  と言って訪ねてきた。


店の奥から中年の女性が出てきた。
そして僕を見るなり、
「はい。聞いていますから…」
と言って、中に入るようにと、ゆったりした物腰で僕を招き入れた。
静かな口調であり、表情はほとんど変わらない。
時計店、というより雑貨屋さんである。 雑然と物が積み上げてある。
奥の間には、少しびっくりしたのだが、人がたくさん座っていた。
「やあ、いらっしゃい」 と、その人たちが声をそろえて僕を迎えてくれた。
門前払いを食わされるのでは、と一抹の不安を持っていたけれど、
この様子では、歓迎してもらっている … と理解してもよさそうだった。
安堵した。


2階の、四畳半ほどの畳の部屋に通された。
「ごゆっくり。お風呂、すぐに沸きますから」
まるで、旅館へ来たみたいだった。
僕をその部屋に案内してくれたのは、色白の、若い綺麗な女性であった。
どうやら、先生の妹さんのようである。
最初に僕を招き入れてくれた中年の女性は、先生のお兄さんの奥さんだという。
2人とも、控えめで、物静かで、言葉の少ない人たちだった。


そういうわけで、僕は八戸のツカハラ時計店で、久しぶりに …
本当に、本当に久しぶりに、風呂に入ることができた。
7月26日の、糠平ユースホステルの温泉に浸かって以来の風呂である。
今日は8月4日だから、実に9日ぶりだ。
何回洗っても、体から垢が出た。 ボロボロと、面白いほど垢が出た。
石原裕次郎が、映画 「太平洋一人ぼっち」 のラストシーンで、風呂に入って、
垢をボロボロ落とすシーンがあったけれど、映画と同じぐらい垢が出た。
髪の毛も5回洗った。 はじめは、石鹸の泡も出ないほど、汚れていた。
髭も剃って、あぁ…、生き返った心地である。


夜は、ツカハラ先生のご両親、一番上のお兄さん夫婦とお姉さん夫婦、
それぞれの子どもたち、そして、先生の妹さん、弟さんなど、
大勢の人たちが同席する賑やかな中で、晩御飯をご馳走になった。
「○○は、元気にやっていますか?」 
と、お兄さんが、家を出たきりの弟・ツカハラ先生を懐かしんだ。
当然、話題は先生のことに集中する。
僕がツカハラ先生の教え子だった、というのは、少し事実とは違っていた。
直接習ったことはなく、職員室で面識を得ていただけである。
しかし、僕は職員室で先生から言われていたとおり、


 〜 私立高校の体育教師として、立派にやっておられる 〜


ということを、力をこめてご両親たちに話した。
食卓を囲む人たちは、みんな一様に安心したような表情を見せた。
しかし、そのあと僕は、
「でも、先生は、お歳が若いわりには、髪の毛がほとんどありません」
などと、ずいぶん余計なことを言ってしまった。
「へぇ…、そうですか? やっぱり」
と、お兄さんの奥さんが、思わず笑い出した。
しまった、と思っても、、もう後の祭りである。
横でビールを飲んでいたお兄さんの頭を見たら、一本の頭髪もなかった…。
うわぁ…! まずい。
まだ30歳代の後半と思われるお兄さんだが、いわゆる若禿げというやつだ。


すると、今度はお父さんが、
「そうかい…。10年前には、あいつには、まだ髪の毛もあったのになあ…」
と、感慨深げにつぶやき、
「あいつも、やっぱり、ウチの血を引くヤツなんだ…」
そう言って、うつむき、くくっと笑って肩を揺らせた。
ほかの人たちも、くすくすと笑った。
それがきっかけで、その場は少し和やかになったように見えた。
「あ、よかったぁ…」
なんとなく、救われた気持ちになった僕である。


ツカハラ先生が、どういう理由で、10年前に勘当されて家を飛び出したのか?
もちろん、詳しいことは先生からも聞いていないし、知る由もない。
ご両親やご兄弟はみなさん親切で、穏やかな人たちばかりである。
どこに、あんなに型破りで威勢の良すぎる先生が育つ環境があるのだろう。
ちょっと、不思議な気がした。
僕は、大勢の家族の皆さんの心のこもった温かいもてなしに感謝しながら、
八戸に来てよかった、と、つくづく思った。
そして、きょうのことを高校の職員室へ行き、ツカハラ先生に話したら、
どれほどうれしそうな顔をすることだろうか。
そう思うと、ちょっと気持ちがウキウキしてきた。


風呂に入り、ご馳走を呼ばれ、大勢の人たちと歓談する…。
しばらく味わえなかった家庭のぬくもりを、満喫させてもらい、
ほのぼのとした気分で2階へ上がり、気持ちよく布団の上に寝転んだ。


外は、雨が降っていた。
かなり強い雨音が、窓の外から聞こえてきた。
ラジオを聴くと、相変わらず青森には豪雨の予報が続いていた。
雨の音が聞こえてくると、野宿の時の不安な気持ちが、よみがえって来る。
もう、雨にはうんざりだった。
でも、ここは民家であり、僕はいま、ちゃんとした部屋で布団の中にいる。
雨が降ろうが、嵐が来ようが、濡れたり吹き飛ばされたりするわけではない。
ごく普通の生活が、これほど快適で素晴らしいものだったとは…
今まで、まったく思いもしなかったことである。
この自転車旅行から得た、一番大きな収穫は、このことなのかも知れない。






8月4日の夜から5日の午前中にかけて、青森県南部と岩手県北部は、
集中豪雨に見舞われた。 これは、そのときの新聞記事である。