4 金沢

  

     自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜



初めてのユースホステル


6月20日
初めて一人で泊る旅館での一夜が明けた。
朝ご飯も4杯食べた。
それでも、お櫃に残っているご飯がうらめしかった。
部屋の窓から、この旅で初めて、うっすらと太陽の輪郭が見えた。
きょうは百キロ先の金沢まで走ろう。
やっと快適なサイクリングが楽しめそうだ。


自転車の汚れを拭き、荷物を積み、午前9時半に宿を出発。


およそ1時間、国道8号線を走って福井駅に到着した。


福井駅はモダンな駅舎だった。
駅前の文具店でサイン帳を買ったとき、店の女の人が、
「がんばってね」と声をかけてくれた。
さっそくそのサイン帳を持って駅に行き、
駅員さんにスタンプを押してもらった。


福井駅から金沢市街までは82キロである。
また国道8号をひた走る。
青空の下、この旅行で初めて爽快な気分になった。
今日の唯一の難所である牛の谷峠を越えて、石川県加賀市に入った。




  石川県に入る。


昼食には道路沿いにあった「どさんこ」というラーメン店に入った。これから北海道をめざす身として「どさんこ」は見逃すわけにはいかないのだ。味噌ラーメンを注文し、店内を見回すと、北海道の地図と各地の写真が壁に貼られてあった。それを眺めていると、胸が膨らんできた。


本当に行くんだ。これから北海道へ!


ラーメンの味はまずまずだったけれど、
店の男の態度がどうも横柄で、興ざめした。




道路の左右に九谷焼の看板が並ぶ。




昨日と打って変わって平坦な道が続き、休憩を十分にとりながら、鯖江を出発して約6時間後の午後3時45分、金沢に到着した。




  金沢駅




そこから、何度も道を尋ねながら兼六園に向かった。
近くまで来ているはずなのだが、わからない。
どうやら公園の周囲をぐるっとまわりながらも気がつかなかったようで、最後に女子高校生たちに 「兼六園はどこですかぁ?」 と聞いたときは、入り口の真横におり、彼女たちにクスクスと笑われてしまった。





  さんざん探した兼六園




兼六園の中に入ってうろうろして、写真を撮ってもらったりしていると、眺望台が目についた。行ってみると、2人の若い女性を相手に、髪も髭も真っ白な爺ちゃんが声を張り上げてガイドをしている。なんだか浪曲師のような大仰な物の言い方をしているけれど、面白そうなので少し離れたベンチに座ってその話に耳を傾けた。


爺ちゃんは、演説口調の自分に酔っているふうにみえた。
銭屋五兵衛がどうで西田幾太郎がこうである、と朗々たる調子で説明を続け、女性たちは何を言われても大げさに頷き、爺ちゃんの話が途切れたとみるや、
「ありがとうございましたぁ」 
と礼を言って立ち去って行った。
爺ちゃんはすぐに新しい獲物を捜す眼で周囲を見回した後、僕の姿を見つけてニターっと笑い、こっちへ来い、という仕草をした。とたんに僕は、「お金を取られるんじゃないか?」と警戒し、あわてて立ち上がり、急に用を思い出したようなふりをして爺ちゃんから少し離れた。


すると爺ちゃんはまた別のグループに近づいて行き、
「そもそも金沢百万石は江戸時代第4の都市として大いに栄え…」
と始めるのである。 一日中、ああやっているのだろうか。


今日は金沢の泊まりだが、なんでもユースホステルというのが安く泊まれるらしい。旅に出る前から、友達からその存在を教えられていたのだが、学生の寮か合宿所みたいな場所のように思えて乗り気ではなかった。しかし、昨日のように一泊で千円もかかる宿にはこれからそう泊まれない。1日の予算の目安はだいたい800円程度なのだ。


金沢は大都市だからユースホステルぐらいあるだろう。
きょうはそこへ泊まってみよう。


地元の人らしい老人グループをみかけたので、僕は近づいて行って、このへんにユースホステルはありませんか、とその人たちに尋ねた。
「な〜んだってぇ? ユースホステス? だれか、知ってるかい?」
ひとりが、ほかの人たちに聞くと、あるお年寄りが、「知ってる知ってる。ユースホステス!」 と叫び、卯辰山(うだつやま)というところにあると教えてくれた。


卯辰山、というのは、標高100メートルほどの丘陵である。
その上に 「ユースホステス」があるのだそうだ。
僕はその人たちにお礼を言い、地図を頼りに車の多い金沢市内を卯辰山に向けてペダルを漕いだ。


なるほど、卯辰山というほどだから、いちおう山である。自転車を押して急な坂を上らねばならなかった。登りきったところに「金沢ユースホステル」があった。坂道を押して上がるのはもうすっかり慣れてしまった。この卯辰山など、昨日の敦賀・武生間のすさまじい上り坂に比べたら、子どもの遊園地みたいなものである。


建物に入ると、受付の人から、
「自転車ですか。この坂道はきつかったでしょう」
と言われたけれど、きついとは思わなかった。「何の造作もなくユースホステルに着いた」と日記に書こう、と思ったぐらいで、とにかく、あの昨日の悪路を経験したあとは、どんな坂道でも大したものには見えない、という自信が植えつけられたようである。
これも修業のたまものだ。


「会員証を見せてね」
と、受付の若くて体格の言い男の人に言われた。
何のことやらわからない。
はぁ? という表情で応じた。
「会員証、ないの?」と言われて、それがなければ追い出されるのではないか、と不安を覚えながら、僕は黙って頷いた。


〜こんなところまで来て、追い出されたらどうしよう〜


しかし相手の男の人は、「じゃ、いま作ってあげるからね」 と、
あっさりとありがたい解決策を講じてくれた。カメラを持ってきてインスタント写真を撮ってくれて、数分後に「会員証」ができた。
自分の顔写真を見て驚いた。
日焼けのせいで、真っ黒な顔…
この人相はどうみても自分ではないみたいな妙な気がする。


ともあれ、会員証ができた。
それを受け取った僕は、ちょっと偉くなったような気がした。
「こういうモノです」 と、これを見せたら、
全国のユースホステルに泊まることができるのだ。
なかなか素晴らしいではないか。
宿泊料と入会手続料を合わせて970円だった。




  会員証


この日の泊り客は僕を含めて4人だった。
東京から来た日大生と大阪の寝屋川から来た男性。
そしてもう一人は長崎からやって来た女性だった。


僕たち4人は、夕食の玉子丼を食べながら、窓から金沢の景色を眺め、
それぞれ一人旅の思いをお互いに述べ合ったりして楽しく過ごした。
琵琶湖でのテントや鯖江での宿屋では、ひとりの寂しさを痛感したけれど、やはりこうして人と話すことが気持ちを晴らしてくれる。


ユースホステルは、思った以上に心地よい施設だと思った。
食事の後、徳田秋声の文学碑のところまで歩いた。
碑文を読んだ。 声の自筆の一文である。


 書を読まざること三日、面に垢を生ずとか昔しの聖は言ったが、
 読めば読むほど垢のたまることもある  体験が人間に取って
 何よりの修養だと云ふことも言はれるが、これも当てにならない。
 むしろ書物や体験を絶えず片端から切払ひ切払ひするところに
 人の真実が研かれる 秋声  


メモを取り、部屋に戻って二段ベッドに体を横たえ、その言葉を何度も読み返した。体験が、人間にとって何よりの修養と信じて踏み出した旅である。僕には、この文章はとても理解できる内容のものではなかった。