32 出会いと別れ

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第32回




2泊のキャンプのあと、右と左へ別れて


 

 
   
  テントのまわりに牛が寄ってくる。   




     
特に好奇心の強そうな1頭が、かなり近づいてきた。      




朝になっても雨は降り止まず、ユミちゃんと僕は、テントの中でパンを食べ、お互いのサイン帳へメッセージの交換をしたりしていると、牛が1頭近づいてきて、テントについている雨水をベロベロと舐め始めた。テントの内側からその様子を見るのは気味悪いものである。今にもテントを押しつぶして襲いかかってくるのではないかという気さえする。僕たちは息を潜め、牛が立ち去るのを待った。
やがてそれに飽きたのか、牛はテントから離れて行き、僕たちもテントから出ると、雨は止んでいた。
この朝、2人はここで別れるはずだったけれども、なんとなく雨と牛に出ばなをくじかれたような雰囲気もあって、お互いにぐずぐずしていたら、ユミちゃんは、
「もう1泊しよう! 連泊だよ、連泊。連泊しよう!」
そう叫んだ。
僕にも異存はなかった。どうせ、お互いに風まかせの旅である。


それでは今日はジンギスカンで盛り上がろう、ということになり、買出しに行って羊肉500g、ジャガイモ8個、パン、きゅうり、お菓子などの豪華な買物をした。そして買出しから戻ってきたら、驚いたことにテントが倒れてへしゃがっていた。
くそっ…牛だ。牛がテントを倒したのだ。


買出しに行く前に、また牛たちがテントのまわりに寄って来ていたことや、そのうちの一頭がさらに近づいて来て、ものめずらしそうに様子をうかがっていたのを、僕たちは少し気にしていた。案の定、人がいない間にテントをつぶしてしまった。おまけにテントを踏みつけた形跡もあった。捕まえてバーベキューにしてやりたいぐらいだったけれど、まぁ、考えてみれば、こちらが勝手に牛たちの縄張りを荒らしていたことに違いないのだから、それは仕方のないことと思わなければならない。


オホーツクの海は透き通り、とても美しい。
「泳ぎたいなぁ〜」と、ユミちゃんは海を見つめてつぶやいた。


テントの位置を少し変えて張りなおし、昨日と同じように木を拾い集めて来て、夜になると羊肉やジャガイモを焼いてビールを飲んだ。
僕たちはまた、昨夜のように長時間、話した。    


翌7月18日午前9時半。僕たちはこの2日間を懐かしみながら、
彼女は稚内方面へ、僕は網走方面へと反対方向へ出発した。


旅は、出会いと別れを繰り返し、続いてゆく。




   
  飯盒でご飯を炊くユミちゃん。




   
 反対方向へ出発の朝。 記念に撮ってもらう。




 
  ユミちゃんのメッセージ。  





 〜 その後 〜


ユミちゃんこと○○由見子嬢は、それからずっと日本一周を続け、
僕が帰ってからも、各地からハガキをくれた。
与論島からの便りもあった。
彼女の旅は、69年の12月まで続いた。
旅行を終えた後、我が家へ遊びに来て、泊まったりもした。
女性の自転車日本一周ということで、当時は評判になり、
サイクリング雑誌のインタビュー記事にも彼女は登場した。
その雑誌に、僕のことが出ていた。
そのくだりは…


「旅の途中では、いろんなことがあったのでしょうね?」
と、サイクリング誌の記者。
「えぇ。会ったばかりの男の人とテントに泊まったりもしましたよ」
と由見子嬢が答える。
「え? 男の人といっしょにテントで泊まったの?」
と、記者が驚いたように訊きかえす。
「そうですよ。大阪の学生さんです」
「初対面の男性と二人っきりで? テントで泊まった?」
「ええ。○○という名前で、寝袋も私に貸してくれました」
僕の実名まで書かれていた。


由見子嬢とはその後、何年間か、交友が続いた。
そして、シドニーの電車の車掌さんをしている男性と結婚する、
と言い残して、オーストラリアへ行った。
そのオーストラリア人は、イアン・キャンベルと言うんだそうだ。
「これからは、ユミコ・キャンベルって呼んでちょーだいね」
そう書かれたオーストラリアからのエア・メールが、結局、最後になった。


今はどうしているのだろうか…






 
  1970年元旦の彼女からの年賀状。