40 阿寒湖の風

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第40回



阿寒湖で知り合った女子大生2人と…


 










1969年7月24日。
バスに乗って摩周湖へ向かう宿泊客を横目に、一人で阿寒湖へ向かう。国道241号線は阿寒横断道路と呼ばれている。美幌峠も険しかったけれども、この阿寒横断道路も凄まじかった。
ほとんど山の中の道を走る。途中で雨が降り出したりする。7月も20日を過ぎてくると、すれ違うサイクリストの数が日に日に多くなる。
こちらが上りだから、相手は下り坂をスイスイ走って来ることになる。
「こんにちは。雨が気持いいですね〜」
と言いながら軽快に下って行く。
僕はつらい上り道を懸命にこぎながらだから、返事を返すのが精一杯である。
峠を越え、今度はこちらが下りになる。阿寒湖方面から10人近く、よいしょよいしょと上ってくるサイクリストにすれ違ったけれども、当然みんな辛そうに、身体全体を揺らせてペダルを踏み、僕が笑顔であいさつを交わしても、一様に不機嫌な表情を変えずにいる。


途中、双湖台というところから、幻想的なまで密やかに光るパンケトー・ペンケトーと呼ばれているツインの湖のひとつを見ることができた。思いがけず出会った静寂の世界に、しばらくの間、我を忘れて見入ってしまうが、結局これがパンケトーなのかペンケトーなのかわからないまま、出発した。








 パンケトー・ペンケトー




昼ごろに阿寒湖に到着した。
阿寒ユースホステルへ行くと、昨夜弟子屈ユースで知り合った男性が、
「あ! 摩周湖へ行かなかったサイクリングの人ですね」
と妙な肩書きを口走って、僕のほうにニコニコしながら近づいて、
摩周湖はねぇ、僕たちが行くと急に霧が消えて、くっきりと、…あぁ、それはもう…この世のものとは思えないほど美しかったですよ〜」
と詳しくその様子を伝えてくれるので、
「はぁ、はぁ…。それはそれは…」
と無理に笑顔を造って見せるのが精一杯の僕であった。


夕食後、ユースホステルの主人が、ミーティングの席で、客たちにこんなことを言った。
「観光ルートに乗った旅よりも、無軌道な旅のほうがはるかに強い印象が残ります。親が反対しようが何をしようが、すべて若さが償ってくれますから、無軌道に、無計画に旅をしようではありませんか!」
なかなか説得力に富む話に、若い客たちはみんな一様にうなずいている。
「たとえば明日は次の目的地へ向かう予定の人も、この近くにオンネトーという素晴らしい湖がありますが、これを見ずして出発するのはあまりに惜しい。ぜひ予定を変更し、無軌道な旅を実践するためにもオンネトーへ行き、ここでもう一泊して行かれることをお勧めしまぁす」
そう言って、主人はにっこり微笑んだ。
な〜んだ、ここに連泊させるためのPRだったのか、と思いながら、みんなと一緒にぞろぞろと部屋に戻る途中、
「あのぉ、すみません」
女性の2人連れに声をかけられた。


「一人で旅をしてるんですね?」
「たしか自転車の旅ですよね」
2人は僕にそう言ったあと、
「明日はどうされますか?」と訊いた。
糠平に行こうと思っています」
僕はそう答えてから、
「別に、必ずそうしなければならないことはないんですけどね」
と付け加えた。
すると、彼女たちは、
「明日、私たちは計画を変更してオンネトーへ行って、ここでもう一泊しようと思っているんです」と言った。
さっそく宿の主人の話に感化されたみたいである。
そして、彼女たちは、オンネトーへ行きたいのだが、そこはどうやらひと気の少ないところのようだから女性2人だけ行くのは心配だ、いっしょに付き合ってほしい、と言った。
要するに用心棒だ。何とも頼りない用心棒だけど…。
むろん、もともと無軌道な旅をしている僕に異存はなかった。









翌日、早朝からバスに乗って3人でオンネトーへ行った。
「秘境」という呼び名が似合う人影のない美しい湖であった。
宿の主人が強引に進めたオンネトーだったけれども、その時間に湖の周りにいたのは僕たち3人だけであった。
「○○クンに来てもらってよかったわ」
と、2人の女性は僕に感謝の意を表してくれた。しかし、この場所は、雑木林から熊が飛び出してきても何の不思議もないほど不気味であり、どうも一番ビクビクしていたのは3人のうち、用心棒であったはずの僕だったような気がする。


2人は兼子さんと恵子さんと言い、東京・青山学院大学の4年生で、実家も東京都内だと自己紹介した。
「東京へ来たらぜひ家に寄ってよね。泊ってもらっていいからね」
と言ってくれたのは兼子さんのほうだった。
「兼子さんのお母さんって面白い人よ。きっと○○クンを珍しがって大歓迎してくれるわ」
と言ったのは恵子さんだった。



 

右が恵子さん、真ん中が兼子さん。




結局、僕たちは阿寒ユースホステルで2泊した。
主人の「策略」にひっかかったのは、3人だけのようであった。
2人は、「無軌道に、無計画に」旅程を変更できたことに甚く満足していたようで、夕食の時も僕の隣に座って、何回も、
「○○クンのおかでオンネトーへ行けたわ」
と喜んでくれるので、ずいぶん照れくさい思いをした。
2人とも、見るからに真面目を絵に描いたような女性だったから、軌道を外れることにちょっとした興奮を覚えていたのかもしれない。その気持は、僕にもよく理解できた。


翌日、ユースホステルを出て、阿寒から足寄までのゆるい下り坂が続く道路をガタゴト走っていると、1台のバスが僕の自転車の背後に迫ってきた。
バスが僕を追い抜こうとするその瞬間、
「○○クーン!」という、細いけれど鋭い声が飛んできた。
横に並びかけたバスを見上げる。
兼子さんと恵子さんだ。
2人が窓から身を乗り出して手を振っていた。
「○○クーン。がんばってねぇ!」
「東京で待っているからねぇ!」
恵子さんは、バスから落ちるのではないかと思うほど窓の外へ身体を伸ばして手を振り、兼子さんは、カメラを取り出してレンズを僕のほうに向けてシャッターを押したのがチラッと見えた。
「がんばってぇ…」
カーブの多い山道である。
バスはすぐに視界から消え、2人の声も聞こえなくなり、舞い上がった砂ぼこりだけが宙を漂っていた。
そのほこりの風を切るように、僕は足寄に向かう下りのデコボコ道を、ブレーキを操作しながら、強くハンドルを握り続けた。





  

兼子さんがバスから撮ってくれた。 
後日、東京でこの写真をいただいた。