39 幻の摩周湖

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第39回



千葉ちゃんとの約束を守れず弟子屈







7月23日。
テントをたたんでキャンプ場を後にした僕は、本来の方角である弟子屈、阿寒湖方面ではなく、反対側の中標津方面に向かって走り始めた。理由は、この前の約束を果たすためであった。あの昭和新山から登別、白老までの3日間、旅の道づれだった青森の千葉ちゃんとの約束だ。登別から白老まで、千葉ちゃんは僕の自転車に乗り、僕は千葉ちゃんのリュックを背負ってバスに乗ったことがあった (「16 登別 なぜかバス」) 。その千葉ちゃんが、いまは中標津の手前の計根別というところの牧場で働いているはずなのである。「計根別へ来てね」と千葉ちゃんは言い、住所を書いたメモをくれた。「行くよ」と、そのとき僕は約束した。


地図を見ると、テントを張った屈斜路湖の南岸から出発して計根別へ行くためには、弟子屈の手前の道を東に進路を取ってかなりの距離を走らなければならない。このあと僕の進む弟子屈から阿寒湖方向とはみごとに正反対の方角である。何となく気が重くなるのを感じながら、中標津」方面を示す標識に進路をとり、ペダルを踏む。


砂利道が続く。今日も暑い。どうやら、昨日から北海道地方も格段に暑さが厳しくなってきたようである。砂利が深くて何度もタイヤをとられてよろける。ズルッと自転車が横へ傾く。その都度、左足を地面につけて転倒するのを避ける。どうも歩いているのと変わらないスピードで走っているような気がする。体力、気力を総動員して、えっさえっさとリズムをつけて前進する。


…どのくらい経っただろうか。1時間? 2時間? いや、4、50分程度かも知れない。僕は自転車を停めて道路わきに座り込んだ。汗がべとべととシャツにからみついた。もう、えっさえっさのリズムも身体のどこからも湧いてこなかった。計根別はこの先、まだ何時間もかかる遠距離にある。しかも何日か後に、この道をまた戻って来なければならないのである。もう、計根別まで頑張って足を延ばそうという活力は、この身体の中にはすでに一滴も残って…とまではいかないまでも、あと八滴ぐらいしか残っていなかった。
「…八滴ではなぁ…」
計根別行きは無理であろう。


僕は立ち上がって自転車のハンドルを握り、方向を反転した。
「千葉ちゃん、ごめんな…」
心の中でそうつぶやき、僕は元の道を引き返した。


約束を破った後ろめたさから来る脱力感…。
暑さも手伝って、身体の芯からいよいよ気力が抜けていった。


元の分岐点まで戻り、弟子屈青年の家に電話を入れて予約を取り、弟子屈方面に向かって自転車をこいだ。分岐点から弟子屈までは、いくらも距離はなかった。


弟子屈青年の家では、夜の食事を終えたあと、全員参加が暗黙の約束になっているミーティングにも、僕は体調不良を理由に参加を断って、部屋へ寝に行こうとした。
すると宿のスタッフの一人が、
「じゃぁ、明日の朝、宿から摩周湖へツアーバスが出るから、それには申し込むよね」
と言った。
しかし僕はそれも断った。
摩周湖と言えば飛び切り上等の観光名所なのだろうけれども、有名な観光地への興味というものが、いまの僕には全く湧いてこないのだから仕方がない。スタッフによると、今日ここに泊っている客は、全員、明朝の摩周湖へのバスツアーに申し込むそうだ。
「せっかくここまで来たんだからねぇ。たとえ義理でも摩周湖には行っておくべきだと思うんだけどなぁ…」
と、スタッフはなんで言うことを聞いてくれないんだ、とばかり悲しそうな顔で、執拗に勧めてくれたけれども、僕の気持ちは変わらなかった。


摩周湖など、行きたければいつでも行けるんだ…。
なんで義理なんかで行かなきゃならないんだ…。


そう思いながら、大広間へ行き、一人で布団を敷いてさっさと寝てしまった。









    弟子屈青年の家




その後…


千葉ちゃんとはその後も、お互いに連絡は取らないままに終わってしまった。


「いつでも行ける」 と高を括っていた摩周湖へは、その後、なかなか行けなかった。やはり、大阪から摩周湖は、そう簡単に行けるものではない。
「何でも行けるときに行っておくものだなぁ」 と、後悔することになった。


…そうなのだ。義理にでも行っておけばよかったのだ。
「義理」 は大切にしなければならない。


22年後、1991年(平成3年)の夏にサロマ100キロマラソン大会に出場した際、その帰途に初めて摩周湖を訪れた。しかし残念なことに、ほとんど霧に覆われて、湖は見えなかった…。
 

さらに…
5年後の1996年(平成8年)の夏。
北海道マラソンに参加したとき、妻と2人で摩周湖を訪れた。そのとき、ついに、これまでの「劣勢」を一気に跳ね返すような見事な青空の下で、くっきりと摩周湖の全貌を視界にとらえることができたのである。この自転車旅行から、27年経っていた。