38 美幌峠を越えて

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第38回



網走を出て美幌峠を越え、和琴半島でテント





   美 幌 峠へ


  




7月22日。
網走から美幌へ走り、美幌からは美幌峠へ向かって厳しい上り道が延々と続いてゆく。
美幌峠への道は、これまで出会ったサイクリストたちの話では、おそらく北海道の中でも最も険しい上り道だろうと言われている難コースである。あらかじめ覚悟はしていたものの、やはり古川家で数日間ラクをしたのが微妙に影響しているのか、身体が思うように動かない。気分的なものもあるのだろう。おまけに、今日は特に暑さが厳しい。強い日差しを受けながら、ほとんど自転車から降りて押して上がる。ポタポタと流れ落ちる汗。くねくねと曲がりながら果てしなく続く上り坂。黙々と登るだけに我慢できなくなったときは「ウワァァァ〜!」と大声で叫んでみたりする。

ようやく美幌峠の頂上に着き、ハアハア言いながら水筒の水を飲んでいると、どこから現れ出たのか、一人の怪しげな中年男が姿を見せ、僕のほうに近づいてきた。
そして僕の横へしゃがみこんだかと思うと、
「あんた、学生さんだね? 今の学生たちはゲバ棒振り回して、どういうつもりなんだろう。実際ああいうことをして効果があると思ってるのかねぇ? あんた、どう思うね?」
といきなり議論をふっかけてくる。
へとへとになっていたときだから、僕はムカついて、その男を手で追っ払う仕草をし、
「しんどいときにそんなはなし、せんといてくれぇ!」
と言うだけ言って、あとは無視した。
男は立ち上がって、姿を消した。どうも、気分を害すること甚だしい。こんなところで一体何をしている男なのだろう。まぁ、熊に出くわすことを思えばまだマシだけれども…。




  

頂上までは悪戦苦闘の連続だったけれど、ここから望む屈斜路湖は、憎らしいほどにうっとりさせる景色であった。真ん中に島が浮かび、まるで絵ハガキかカレンダーの構図そのままの、鮮やかな湖の風景だった。
それをじっと眺めているうちに、上ってくるまでの苦しかった感覚がぱらぱらっと落ちてゆき、目の前の絶景をゆっくり味わえる余裕が湧き出てくる。きつい上りだったけれども、まぁ十和田湖よりマシだったか…と、さっきの男が熊よりマシだったのと同様、寛大な気分がじんわりと湧いてくるのである。どんな辛いことでも、「〜よりマシ」と思うのが、苦しい旅には何よりの良薬だ。


そのあと山の中の道を、ブレーキの音を鳴り響かせながらぐんぐん下る。車もほとんど通らず、道の周辺は実に不気味で、追い剥ぎの2組ぐらいは出てきそうに見える。
やがて、地道から舗装道路に変わり、景色も一気に開けてきて、広い空がぱあっと視界に躍り出た。そして、自転車は、風に吹かれて…屈斜路湖畔の和琴半島へたどり着いた。



  

和琴半島は屈斜路湖に突き出た半島である
 

  




この和琴半島には正式なキャンプ場があり、そこでテントを張ることにした。利用料金は30円だ。これは高くない。水道があってトイレがあり、景色は満点である。それに当たり前のことだが、キャンプ場なのでテントがとても張りやすい。さらにまわりに人がいるので、怖がりの僕としては大いに安心して夜を過ごすことができる。考えてみれば、きちんとしたキャンプ場でテントを張るのは、この旅行で初めてである。さすがは有料施設である。道端の野宿とえらい違いだ。

キャンプ場の管理人のおじさんは、話を聞くと大阪府守口市の人だという。これにも驚いた。
おじさんは、大阪から自転車で何日かけたらここまで来られるのか、と尋ね、僕が30何日だと答えると、
「へぇ〜? …長いのか短いのか、よくわからんなぁ」

古川夫人が、今朝の出発時に、沢山の大きなおむすびを持たせてくれたので、きょうは、昼も夜もそれを食べて過ごした。
隣にテントを張っていたのは、夏休み期間中にバイクで北海道一周している京都の立命館大学の2人の男性であった。2人は、これまで出会った旅行者とは違ってとても紳士的・常識的な人であった。何となく安らげる人たちである。夕食後はその2人と話し、8時前には寝てしまった。

 



 

 立命館大学生のふたり