37 アポロ11号の月世界着陸 

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第37回



1969年7月21日、人類が初めて月に立つ




     
この日、人類が初めて月へ降り立った (資料写真)




この自転車旅行は、6月17日にスタートし、8月25日にゴールした。70日間の旅だった。知床への日帰り旅行から戻ったその夜、古川家の人々と遅くまでテレビを見ながら談笑した7月21日という日は、旅行の出発日から数えて35日目であり、結果的には70日間の旅のちょうど半分を終えたところに当たっていた。この7月21日は、旅行中でも最も強い印象に残った1日でもある。


修学旅行以外にどこへも旅をしたことがなく、世間のことにもまるで疎く、闇雲に飛び出した無計画な旅だったから、漠然と思い描いていた気楽な旅とはおよそかけ離れた「苦行」を味わうことになった。終わってみれば笑いばなしの連続ではあっても、その只中では、肉体的には苦しいことだらけ、精神的には寂しい思いばかりを引きずりながらの旅であったように思う。
特に、最北端の宗谷岬を過ぎ、網走へ着くまでの間に、僕の情緒はバランスを崩し始め、気分は荒廃しつつあった。痛快な由見子嬢との出会いや湧別のおまわりさんの心温まる親切に接したことで、いささか緩和されたとは思うけれども、それでも自転車で走ることの単調さ、苦しさというものが、最も強く僕の心の奥底をじめじめ締め続けたのは、この時期だった。


しかし、どうにか網走にたどり着き、古川家の人々に3泊お世話になったことで、僕の気分は何とか持ち直した。このあと弟子屈糠平、阿寒、帯広へと続く旅の途中には、またうんざりさせられることもあったけれど、挫折にまでは至らなかったのは、ちょうど旅の中間地点であるこの網走での数日が、何ものにも替え難いオアシスの役割をしてくれたからにほかならない。


知床半島の日帰りの旅から帰った夜、古川家の人々と遅くまでテレビを見ていたのは、アポロ11号が月に到着して、人類がはじめて月面に第一歩をしるした歴史的な中継が行われていたからだった。映像では、まるで映画のスローモーションのシーンのように、人間がゆっくりと宙に浮かんだり、ふわふわ歩いていたりしていた。
「わしたちが生きているうちに人間が月に行くとはなぁ…」
と古川さんは感慨深げにつぶやいて、テレビに見入っていた。
「もう小説の中だけの話じゃなくなったんだよね」
と、邦子さんも宙をにらむようにしてつけ加えた。
1969年7月21日。この日のことは、生涯忘れることはないだろう…、と思いながら、僕は、知床の大自然と、目の前の月面着陸の映像とを、瞼の中で重ね合わせた。


翌日。午前9時半。古川家の人々全員に見送られて、僕は自転車にまたがった。
「今度はもっとゆっくり遊びにおいでなさい」
「流氷を見に来るといいよ。冬の網走もいいものだし」
「交通事故に気をつけてね」
せっかく親しめた人々との別れは辛かったけれども、また気持を切り替えて進まなければならない。
「もう振り返りませんから。ありがとうございました」
そう言って、僕は自転車をこぎ始めた。
「気をつけてぇ、さようならぁ」
と、皆さんの声を背に受けて、何十メートルか走ったところで、ガリガリッと鈍い音がし、チェーンが外れた。
「あわわわわわ」
遠くでみんなが見ている中で、僕は自転車を降りて、チェーンをなおさなければならなかった。走行中、しょっちゅう外れるチェーンなのだが、何もこんなときに外れなくてもよさそうなものだ。
「うぅぅ…」
これにはなんともバツが悪く、穴があったら入りたい思いだった。大急ぎにチェーンを元どおりにはめ込み、古川家の人々に改めて一礼した。向こうでは、古川の叔父さんはじめ全員が、僕を心配そうに見つめている。


再び僕は自転車にまたがって走り始めた。背中に皆さんの視線を痛いほど感じながら、僕は振り返らず、そのまま網走駅方向へ走った。


古川家の皆さん、本当にありがとうございました…。




    ↓ 前夜、家族のみなさんに書いてもらったサイン帳。







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崑ちゃん先生のこと


網走で古川家にお世話になるきっかけを与えてくださったのは
高校時代の恩師 「崑ちゃん先生」 である。
自転車旅行に出る前、先生の奥さんが
「北海道へ行くのなら、叔父が網走にいるので、そこに泊ればいいわ」
と言ってくれ、それが今回の訪問につながったことはすでに述べた。
その崑ちゃん先生のハガキを稚内の郵便局留めで受け取ったことも、
このブログ 「26 稚内」 の項で紹介した。
とても面白いので、ここに再度掲載させてもらうことにした。


先生の奥さんは、僕が旅行に出てからすぐに女児を出産された。
先生からのハガキには、生まれたばかりの赤ちゃんの足型が押されていた。
それにしても…、稚内で受け取ったこのハガキには、
「子供は稚子(わかこ)と命名した。稚内の稚だ」
と書かれていたから、びっくりした。


これが、稚内で受け取った崑ちゃん先生からのハガキ 


       ↓