36 知床岬

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第36回




汽車に乗って知床へ日帰り旅行…










自転車に乗らずに旅に出るのが、これほど心浮き立つものだとは思わなかった。今日は、古川さんご夫婦が勧めてくれた知床半島日帰りの旅に出かける日である。


僕はバッグひとつ下げただけの軽装で古川家を出て、網走8時41分発の急行列車に乗って斜里まで行き、そこからバスに乗り換えてウトロに向かった。


今日は7月21日ということで、全国的に学校が夏休みに入る時期だからかも知れないが、ウトロから乗ったバスの中は、補助席までぎっしり詰まって超満員である。補助席は1列に2席ずつあるが、かなり狭い。バスが出発するまで、その2席の補助席に2人座るか1人座るかで、2人を主張するバス側と、2人は狭すぎるから1人にしろと怒鳴る客側とが、周囲が殺気立つほどにモメた。結局、補助席には1人座ることで話がおさまり、無事出発の運びとなった。最初から1人にしておけばよいものを、260円も運賃を取っているくせに、バス会社もセコすぎる。


斜里からウトロまでの所要時間は1時間20分だ。
道が悪いのでガタンガタンと揺れまくるバスに合わせ、直接衝撃を受けないよう身体を軽く浮かして前後左右に揺らす。なんだかまた自転車に乗っているような気分になり、落ち着かないことだ。


窓の外には真っ白な花が咲き乱れていた。僕があんまり熱心に窓の外を眺めていたものだから、隣に座っていたおじさんが、
「あぁ、馬鈴薯の花だ。今年は花が咲くのが1週間ほど遅れたけどねぇ」
と話しかけてきた。地元の人だと思ったら、秋田県能代市から来たのだという。
「毎年サケ漁でここへ来てるんだよ。昨日、碇を下ろしたばっかりだけどね」
このあたりのサケ漁は日本一だ、とも言った。おじさんは、映画「地の果てに生きるもの」でも有名な知床半島の「番屋」についても話してくれ、僕のほうも秋田県を自転車で通ってきたので、秋田市内の千秋公園のことや能代の駅のことを話題に出したりした。


ウトロに着いた。


ウトロから知床をめぐる観光船は何種類かあるが、僕は「ウトロ〜知床岬折り返し」のコースを選んだ。所要時間4時間30分。料金は1300円という恐るべき値段であるが、ここまで来たからにはそれを惜しんで乗船を中止するわけにはいかない。


船が出るまでの間、森繁久弥の「知床旅情」の碑の前で、立ったままじゃがいもの串刺しを食べていると、若い女の子が僕をじっと見ているので、
「ん? なんだ?」と思っていたら、
「おいしいですか? それ…」と訊く。
「おいしいけど、値段が高すぎるよ〜」
と、何もかも物価高のこの辺の店に恨みを込めて返答をする僕であった。
彼女も友人などの姿は見えず、一人で旅行をしている感じだった。


それがきっかけで、僕たちはいっしょに観光船に乗り込んだ。


観光船には「はまなす号」という名前がついていた。
「♪知床の岬に はまなすの咲く頃 思い出しておくれ…」
知床旅情」の歌詞とメロディが、否応なしに頭に浮かぶ。




   
    「知床旅情」 の歌碑の前で。




   
   


僕が乗ったのはウトロ 〜 知床岬の折り返しコースである。




船の中で、彼女と海に向かって並んで立ち、知床半島の断崖と波しぶきの景観を眺めていた。勇壮で、まさに圧倒的な風景だった。
「この風景は、自分の如き者の筆では表現出来ない」
手帳に、そう書いた。景色などのあまりの素晴らしさに圧倒されて文章が浮かばない場合、僕はたいていそう書くことにしていた。


7月だというのに、風がとてもが冷たい。
彼女と並んで、ときどき驚嘆のため息をついたりしながら、2時間余り、じっと立ちつくして目の前の風景を眺めていた。








     岬の突端 




やがて船は知床岬の突端まで行って、そこでUターンして同じコースをウトロに向かった。


彼女は神奈川県川崎市に住む大学2年生だった。僕より1学年下である。名前を律子サン、と言った。今朝、いっしょに旅行に来た友だちが先に帰り、自分1人だけ北海道に残って、生まれて初めての1人旅がこれから始まるところでドキドキしているのだと、不安まじりの笑みを浮かべた。


往路とは正反対に、船がウトロに着くまでの間、僕たちはずっと話していた。将来は何になりたいかという話に及び、僕は、新聞記者になりたいのだと言った。
すると彼女は、少し迷った表情を見せたあと、
「あたしは…、お嫁さんになりたい」
笑いもせず、恥ずかしそうな顔もせず、ごく普通の物言いで、そう言った。
生まれて初めての一人旅になったことについては、
「お母さんは友だちと2人で来ていると思っているけど、今、私ひとりだけだと知ったらびっくりするだろうな」
「旅行が好きなの。これからもひとりで旅行をしたいわ」
彼女はそんなことを訥訥と語った。
お互いのカメラで、写真を撮り合ったりもした。
そうこうしているうちに、船はウトロに到着した。

   
    

 




 
     律子サン




彼女は、今夜はこのウトロに泊るつもりだが、まだ宿が決まっていない、と言った。僕は船から降りると彼女に付き添って旅館案内所に行き、女の子の一人旅でも安心できるような宿を問い合わせ、案内係の人にそれらしきところを紹介してもらったあと、互いの住所を交換し合った。「川崎を通ったときは連絡をください」と彼女は言ってくれたので、そうすることを約束した。そしてまた、彼女が10月に京都へ来るというので、そのときは電話をくださいと僕も言い、さらに来年に大阪で万国博覧会が開催されるので、そのときも来てください、と付け加えた。


そのうち、ウトロから斜里へ行くバスの発車時間がギリギリに迫っていたのにアッと気がついて、僕は大いに慌て、彼女に挨拶もそこそこにバス停へ走って行った。彼女も同じように走ってあとをついてきた。
出発直前のバスに飛び乗って、ゼイゼイハアハア息を切らせながらバスの乗降口に立った僕は、外で、これも息を切らせて立っている彼女と向かい合い、何度も「じゃぁね。気をつけてね」とお互いに言い合ってバスの出るのを待ったのだけれど…、なぜかバスはいっこうに発車せず、どうも間が持たなくなったので、彼女に早く旅館へ行くように促した。


バスに背を向けて歩き始めた彼女の後姿を、僕は入口に立っていつまでも見送った。時々ふりむいて手を振る彼女がとても可愛かった。会うが別れのはじめとは言うが、旅行中、こういうシーンばかりを際限なく繰り返していると、なんだか人生の無常のようなものをひしひしと感じずにはいられない。知床の大自然に圧倒され、その余韻をかみ締めて帰って行くはずのバスの中だったけれども、ため息ばかりが漏れてきた。


バスから降り、斜里駅の構内で駅弁を買った。これが実に内容豊富で美味しい弁当であったのだが、値段はまずまずの150円である。乗船場のジャガイモ一串やファンタオレンジが100円、バス代が片道260円、そして観光船が1300円という値段が、どれほど日本経済の常識から逸脱した値段であるかは、この弁当価格からしても推して知るべしであろう。「しれとこ弁当」バンザイ。


その弁当をぱくぱく食べながら、汽車に揺られて網走へ戻った。
汽車の中…。駅弁のあまりの美味しさに、いつのまにか、先程のはかない出会いと別れでひしひしと感じさせられた人生の無常も、しれとこ弁当による満腹感の前にすっかりカゲをひそめてしまったようである。いまの僕には、食欲を上回る欲というものは、どこにも存在しないようであった。








 〜 その後 〜


律子サンの住む神奈川県川崎市へは、結局この自転車旅行では行かなかった。東京へは行ったのだが、いろいろな事情があって、東京から川崎へ向かうのではなく、房総半島へまわり、そこから三浦半島までフェリーで渡り、そのまま箱根の方へ向かうというコースをたどったのである。だから、川崎、横浜のコースは通過しなかったので、律子サンとも、これが最初で最後の出会いになった。