42 帯広駅で会った2人

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第42回



帯広駅で「大将」と「ねずみ男」とに会う







糠平で失意の底に沈んだ僕は、ペダルを踏む足取りも重く、食傷気味ともなってきた北海道の広大な風景に取り囲まれながら、何とか気を取り直して帯広までたどり着いた。


帯広駅にサイクリング車が2台置いてあった。僕も自分の自転車をその横に並べ、駅の待合室で休憩しようと思ったら、「お〜い」と背後から声がかかった。真っ黒なサングラスをかけた男と、丸刈りの背の高い高校生風の男がいた。
「兄さん、どこからきたんだね」
と、サングラスの男が尋ねた。2台の自転車は彼らのもののようだった。
「これからラーメンを食おうと思ってるところなんだ。いっしょにつき合いなよ。おごるからさ」
サングラスはそう言い、隣の丸刈り男は僕に「へへっ」と笑って見せた。
おごる?
初対面なのに、これはまた気前のいいことである。僕はもちろんサングラスのあとについて、丸刈り男といっしょに駅前にラーメンの看板が上がっている店に入って行った。


サングラスの男は、東京の新宿に住む僕より5歳年上のいかつい男だった。
坂本竜馬に憧れてよ、そっちへ行きたかったんだけどさ、同じ行くんなら全国を回ってやれと思ってな。先に北海道をまわって、このあと日本海を下ってぐるっとな、四国へも行こうと思ってんだ」
つまり自転車日本一周なんだけれども、彼はこれまでのサイクリストとはどこかタイプが違う、都会風のヤクザっぽい男である。丸刈りの男とも、今朝どこかで会ったばかりだという。


ラーメン屋に入り、3人でテーブルについた。こういうところに入ると、何となくホッとする。
「こいつはねずみ男に似てるだろう」と、サングラスの男は、タバコに火をつけながら、丸刈り男を指してゲラゲラと笑った。そういえば、目の前にいる丸刈り男は「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するねずみ男にそっくりな顔をしている。
ねずみ男は、
「またぁ…。大将は今朝会ってからそんなことばかり言うんですよ」
と、笑った。奈良から来た高校3年生だという彼は、笑うとますますねずみ男に似てくるのだが、「大将」とは、ねずみ男がサングラス男のことを呼ぶあだ名みたいである。僕もサングラス男をこれから大将と呼ぶことにする。


ラーメンはとてもおいしかった。
ツルツルはぁはぁ言いながら食べていると、誰かが背中をトントンと叩く。
振り返ると、店の若い女の子が、
「おいしいかい? おいしいかい?」
と、尋ねる。
「あぁ、おいしいよ。すごくおいしいよ」
と僕が返事をすると、女の子は、とても嬉しそうな顔をして奥へ歩いていった。
「なんだい、あのおね〜ちゃんは?」
と大将が不思議な目で女の子を追った。
「店の子でしょう?」とねずみ男
「わかってるよ、そんなこたぁ」と大将。
なんとなく、会話がおかしい。


そのあと、大将に誘われ喫茶店に入った。これも大将のおごりであるが、僕はもう長い間、喫茶店などというところには入ったことがない。僕はクリームソーダを注文した。ねずみ男が注文したカキ氷は、みつの上に氷が乗っていた。喫茶店を出るとき、店の人が僕たちに石鹸とアイスクリームをくれた。サービスのいい店である。


その夜は、3人で帯広畜産大学に泊まった。この大学は、サイクリング仲間ではとても評判の大学であった。何が評判かといえば、夏休み中、大学の自治会が、サイクリングやヒッチハイクやその他、放浪の旅をする人間を学内の部屋に安い宿泊料で泊めてくれ、おまけに肉料理などを振舞ってくれるという話なのである。僕は、旅行中、いろんな旅行者から何度もそのことを聞かされた。
「いいよね〜、畜産大学は。ものすごいご馳走を出してくれるんだ」
「食べきれないよ、本当に。気の毒なぐらいだ」
経験者たちはみんな、口々にそう言った。
「帯広に行ったら、帯広畜産大学へ行って泊まれ」
が、僕たちの間では合言葉になっていた。
その帯広畜産大学へ、3人で行ったのである。


受付に学生がいて、宿泊料は60円だと言った。
「バカみてぇに安いじゃねぇか。これで肉も食わせてくれるのかよ〜」
大将は上機嫌であった。
しかし、僕たちが案内されたのは、机も椅子もなければ夜具のひとつもない教室の一室で、すでにそこには何人もの宿泊者がまるで浮浪者のようにうずくまったり、寝転んだりしていた。床はコンクリートである。「先客」たちは、新聞紙を敷いて寝転んでいたりする。
「どうぞ、ごゆっくり」
帯広畜産大学の学生は、ボソッとそういって消えていった。
「なんだい、こりゃぁ」
と大将の表情はとたんに険しくなった。雨露をしのぐことができる、というだけの施設である。しかたなく、僕たちは寝袋を出して、その中に入って寝た。まあ、テントを張って寝るのと同じようなものである。


もちろん、肉料理などは出なかった。