ギリシャ神話と 「トロイ」


最近、古書店で買った文庫本で阿刀田高の「ギリシャ神話を知っていますか」という本が面白かった。ギリシャ神話には、学生の頃の一時期、凝ったことがあり、トロイア戦争やオディプス王の悲劇、王女メディア、パンドラの箱アリアドネの糸などの物語にはかなり心を動かされたものであった。


阿刀田さんによって何十年ぶりかでギリシャ神話の魅力に触れた先月末、ちょうど日曜洋画劇場で 「トロイ」 が放映された。 以前にも見たことはあったけれど、なにしろ好きなギリシャ神話が題材だから、また見てしまった。


映画のストーリーは、よく知られたものである。


トロイアの王子パリスが、エーゲ海をはさんで対峙するギリシャ民族のひとつ、スパルタへ交渉に行った際に、スパルタ王メネラオスの妃である絶世の美女ヘレンを好きになり、彼女を連れて母国へ戻る。 妻を奪われたスパルタ王は激昂し、兄であるギリシャ王アガメムノンに頼んで、ヘレンを取り返すべく、総勢十万の遠征軍を組んでトロイア攻めることになる。 ここにトロイア戦争の幕が切って落とされた…。


「これはパリスが悪い。王様の妻を連れて帰ったのだから」 と、横で見ていた妻が言う。 なるほど、オーランド・ブルーム扮するパリスは、ちょっと頼りなげで二枚目のプレイボーイ風の、いかにもモテそうな若者である。 これまで何人もの女性に手を出していことが、兄のヘクトルのセリフでも明らかにされる。


ヘクトルは、ふんにゃりした弟とは違って、トロイ随一の戦士であり、このあと自国に攻めてきたギリシャ連合の中でも、最強の戦士アキレス (ブラッド・ピット) と一騎打ちの死闘を繰り広げ、これが映画のクライマックスになるわけだけれど、それにしてもこの兄弟は、映画を見る限り、ずいぶん資質が違う。 


弟のパリスは自分の欲望の赴くままに、他国の王妃を奪って相手国を激怒させ、最後はトロイアを滅亡に追いやるドラ息子でしかない。 しかし、ギリシャ神話の世界では、トロイア戦争は、パリスのこの行為が原因だった…というよりも、神々によってこの戦争が演出されるのだから、一概にパリスを責めるのは気の毒なような気もする。 少しでもギリシャ神話の知識がある人なら、この話には深〜い伏線があることをご存知であろう。


ギリシャ神話では、こういういきさつになっている。


あるとき、神々の饗宴の席に、争いの女神エリスが黄金のりんごを投げ込んだ。 それには、「いちばん美しい女神に」 という文字が記してあった。 それをめぐって、ゼウスの妃であるヘラ (全能の女神)、アテネ (智恵の女神)、アフロディーテ (愛と美の女神) の間で、争いが起こった。 それぞれが 「いちばん美しい女神は、あたしに決まってるじゃない。このりんごはあたしのものよ」 と主張して譲らない。 そして、その判定は、ゼウスによって、羊飼いの少年パリスに委ねられることになったのである。 


なぜ、パリスなのか。 しかも、そのときパリスは、なぜトロイアの王子ではなく、羊飼いだったのか…。


話はさらに遡るが、トロイアの王子として生まれたパリスは、不幸なことに、誕生の瞬間に 「この子はやがてこの国を滅ぼす」 と予言され、王の命令を受けた奴隷によって山に捨てられた。 しかし赤ん坊は熊に乳を飲ませてもらって生き延びる。 数日後に様子を見に来た奴隷は、赤ん坊の元気な姿を見て驚き、我が家に連れて帰って育てるのである。 こうしてすくすくと成長したパリスは、自分の出自も知らず、羊飼いとして、のんびりと人生を送っていたのである。


そこへある日突然、3人の女神が現れた。
「ねえねえパリス君。あたしたちのうちで、一番美しいのは誰だと思う? 正直に言ってね」
3人の女神はそれぞれパリスに、自分を選んでくれたらご褒美をあげるわ、と誘惑する。
ゼウスの妻ヘラは、
「あたしを選んでくれたら、どんな地位でも権力でも与えてあげる」
知の神アテネは、
「あなたに最高の智恵と技術を与えてあげる」
愛の神アフロディーテは、
「あたしはねぇ…世界で一番の美女をあなたに与えてあげる」


う〜ん。どうですか?
なんとも魅力的な「賞品」というか「賄賂」というか…ズラっと並んでいますね。 僕ならこういうとき、どれを選ぶだろうか。


パリスは、アフロディーテが最も美しい女神である、と宣言した。


何しろ愛の神アフロディーテは、ローマ神話で言えばヴィーナスだ。 ミロのヴィーナスを例に挙げるまでもなく、いろいろな彫刻や絵画にも、美の象徴として描かれてきている。 パリスには、アフロディーテの申し出が一番の魅力だったのだろう。 要するに男は 「美女」 に弱いのです。 驚くほど弱い。 今も昔も、西も東も問わず、変わりません。 はい。


それからまた歳月が経った。


あるとき…
パリスが可愛がっていた牛が王宮に召されることになった。
「なんで持っていくのですか?」
「これは格闘競技大会で優勝したものに贈る景品に使うのじゃ」
と、王の使いはそれだけ言い、さっさと牛を連れて行ってしまう。
「よし、自分の手で、あの牛を奪い返そう」
と、パリスは城に行って競技大会に出場し、決勝戦まで勝ち残る。
決勝で当たった相手は、なんと兄の王子、ヘクトルだった。
そしてかつての若貴のような 「兄弟対決」 は、パリスが制する。 王子を負かしたことで家来たちは色めき立ち、パリスを暗殺しようとするが、カッサンドラという、一番下の妹が 「その人は王子です! 私たちの兄弟なのよ」 と叫び、すべての真相が明らかになる。 カッサンドラはアポロンによって特殊な霊力を与えられていたので、たぶん、そういうことがわかっていたのだろう (映画 「トロイ」 にはカッサンドラは出てこない)。


とにかく、こうしてパリスは王宮に戻る。 むかし 「この子をはやがて国を滅ぼすのだ」 と予言者から言われたことを、王様たちは、なぜかすっかり忘れちゃっていたのだ。 ここらが不思議なところだけれど…。


パリスは、アフロディーテの約束がなかなか果たされないまま、十人並みの器量の女性と結婚する。 「何が世界一の美女だ。ちっとも約束を守ってくれないじゃないか、あの女神は」 と不満が募るそんな頃、父である王様がパリスにギリシャへの遠征を命じる。 


以前、王様の姉が無理やりギリシャに奪われて、連れて行かれたことがある。 今やトロイの国力もギリシャに匹敵するようになったので、ギリシャと交渉して、姉を連れ戻してくれ、という王様の頼みであった。 そこで、パリスは船団を組んでギリシャの入り口にあたるスパルタに対して、父の姉を返してもらうよう、交渉に行くのである。


行った先で、スパルタ王妃の美女、ヘレンと出逢うのだ。 ヘレンも美しい青年パリスをひと目見て、愛しいと思う。 ヘレンの夫、つまりスパルタ王はいつも留守がちで相手にしてくれず、彼女は退屈しきっていた (映画では、スパルタ王は留守ではない)。 そこへやってきたイケメンの王子。 お互いにひと目惚れである。 パリスはこのとき、このヘレンこそ、約束の 「世界一の美女を与える」 というアフロディーテの言葉が実現したものであると考えた。 無理もないだろう。 神との約束がいつ実現するのか、パリスはずっと心待ちにしていたのである。 これぞ、約束の美女である、と彼が思っても何の不思議もない。 ヘレンのほうも、パリスの胸に飛び込んだ…。


これを誘拐とか略奪とか拉致とかは言わないだろう。 このトロイア戦争は、人知を超えた神々の戦いであった。 しかし、映画 「トロイ」 はそのあたりには触れていないので、すべてパリスの好色な性格が事を起こした原因だという設定になっている。


映画の脚本は、あくまでもヘクトルと、ブラピが演じるアキレスとの勇者の一騎打ちのシーンにスポットを当てるために、パリスを出来の悪い弟に描いているわけだけど、それにしても、最後のシーンでは、パリスも弓の名手としての意地を見せ、勇者アキレスの泣き所である 「かかと」 を射て殺し、面目を保つ。 ここは原典どおりである。 


でも、ブラピのファンは不愉快だろうなぁ。 


勇猛果敢でカッコいいアキレスが、臆病者だったはずのパリスにやられるんだから…。 映画の流れとしては、ちょっとつじつまが合わない。 まあ、アキレスが生まれたとき、不死身の身体にするため、母が彼を黄泉の国の川にその身体を浸したが、その際、かかとを持っていたため、そこだけが浸らなかった。 だから、かかと、つまりアキレス腱がこの勇者の弱点となったのだから、これは母の痛恨のミス、と言わなければならない。


と、まあ、こんなことを書いてきたけれど、映画は迫力に満ちた力作に違いなかったが、やはり民放テレビで映画を見るというのは、かなりの忍耐力を要する。 夢中になって映画を見ていると、急にCMに切り替わる。 これで何回もカクンとなる。 おまけに、アキレス役をしているブラピが、突如ソフトバンクの携帯電話をかけているシーンなどがCMで出てくる。 おいおい、そんなもの、やるなよ、と言いたい。 民放の宿命とはいえ、やはりCMだらけの映画は、真剣に見ていると腹が立つ。


このときはラストシーンが特にひどかった。


ブラピがアキレス腱を射抜かれて落命し、荼毘に付されるところでこの映画は終わるのであるが、そのシーンでいきなりCMが入った。 まだ、映画の最後の最後が残っているのでは、と思いながら待つのだけれど、CMは延々と続き、やがて次の番組が始まった。 余韻も何もない。


見ていた人たちは、「え? あれで終わり?」 と思ったことだろう。 せめて 「終」 の一字ぐらい入れてやったらどうか。 これは、視聴者にチャンネルを変えさせないためのテレビ局のいつものさもしい手法だと思うのだが、せっかく2時間24分も番組枠をとっておきながら、あまりにも視聴者をバカにした終わり方である。


衛星放送を含めたNHKでの映画の放映では、かならず余韻を残してくれる。 民放も、少しは見習ったらどうかと思う。


そんなことで、ギリシャ神話の本と映画のお話が、民放のあり方についてのボヤキになってしまったけれども、映画はやっぱり、映画館に足を運べないときは、ビデオかNHKで、CM抜きのものを見なければならないなぁと、つくづく思ったものであった。