開高健 文学碑の光景


街を歩くのが、好きだ。
休日にリュックひとつ背負い、特に当てもなく歩く。
僕は大阪市の南にある小さな市に30数年前から住んでいるのだけれど、そこから北を向いて歩き始めると、大和川を越えて大阪市に入る。
都会の雑踏と喧騒がなぜか肌に合う。 汚れた空気の味わいも、嫌いではない。 湿っぽい風も、鈍い日差しも、すべて僕の好みの範囲である。


この間のことである。 天王寺というところまで行くのに、これまで歩いたことのないコースを歩くことにした。


近鉄南大阪線の高架下の、薄暗くて、せせこましい道路である。 この道が天王寺までの最短距離であろう…というのがその理由だった。 そして、北田辺、という駅を通り過ぎようとしたそのとき、文学碑のようなものが目に入った。 そばに近づいて碑を見て驚いた。 開高健の文学碑であった。


僕は30歳ぐらいの頃、「開高健全作品」 (新潮社刊) を全巻買い揃えて読み耽ったことがある。 その圧倒的な文章の力に魅せられて、少なからぬ影響を受けた時期があった。 彼が大阪の人、それも僕が住んでいる近鉄南大阪線という、大阪でもきわめてローカル色の強い沿線に住んでいた人であることは知っていた。 しかし僕が開高に傾倒してから、長い時間が流れている。 そういうことも、ほとんど記憶の底の方に沈んでいた。それが、突如、この北田辺の駅前で、何もかも、よみがえった思いがした。


こんなところで、開高と邂逅するとは…。


文学碑の解説を読むと、開高健は、少年・青年時代をこの北田辺で過ごした、とある。…そうだ。 確かにそうだった。 開高の自伝的小説やエッセイに、このあたり (天王寺や北田辺や針中野) のことが頻繁に出てきていた。 それらをとても身近に感じながら、読み進めていたことを思い出した。 それにしても、開高健との突然のめぐり合いは…大げさではなく、奇跡のように思えた。


2005年にこの文学碑がこの場所に建立されたという。 恥ずかしいことに、僕はそのことを、まったく知らなかった。 街を歩いていると、こういう驚くべきものに出会うのである。


僕はしばらくその場所を離れることができなかった。


何枚も、いろいろな角度から、この文学碑の写真を撮った。





近鉄南大阪線北田辺駅の前。 中央が文学碑、右が解説。




文学碑には 「破れた繭」 の文章が刻み込まれている。




文学碑の隣にある解説




そして… その日、開高健の文学碑のあった北田辺を出てなお歩き続けていたら、街角の掲示板にこんなポスターが貼ってあるのを見つけた。 これも偶然だった。