ますます増える銃撃事件




17日と18日、愛知県へ出張へ行っていた。
17日の夕方から翌朝まで、ホテルの部屋のテレビでは、その愛知県で起こった元暴力団組員による人質立てこもり事件を、ずっと報道し続けていた。 18日、出張を終え、夕方に大阪へ帰ってきても、まだ立てこもりは続いていた。 すでに人質にされていた元妻も、自力で脱出して無事に保護され、立てこもっているのは男一人だという。


警察はいったい何をやっているんだろう。 前日、若い県警機動隊員が射殺され、ほかにも警察官ら3人が撃たれて重症を負った悲惨なこの事件が、まだ解決をしないまま続いているということに驚いたのだ。
そして、ようやく昨夜の9時前になって、犯人 (通常は“容疑者”と呼ぶそうだが、ここは“犯人”と書く) が投降し、事件発生後29時間後にやっと逮捕された。 射殺された機動隊員には生後10ヶ月の女の子がいるという。 若くて有望な警察官の命を奪い、その家族の人生を狂わせた元組員の愚劣な犯行の原因は、身内の揉めごとである。 なんとも言いようのないほど腹立たしくて、悲しい事件ではないか。


17日と言えば、ちょうど1ヶ月前の17日に長崎市長が銃撃されたのも、まだ記憶に生々しい。 なぜこんなにも銃による犯罪が増えてきたのか。 しかも、その大半が暴力団員による仕業である。 正確に言うと、銃を使った犯罪の7割が暴力団が起こしているそうである (朝日新聞19日の 「社説」 から)。 そのたびに、暴力団の撲滅や、銃の取締りの徹底が叫ばれるけれども、何の効果もなく、むしろ益々この種の犯行がはびこってきているのが現実である。 銃は日本で5万丁あって、しかも、暴力団員はひとり1丁ずつ持っている、とも新聞に書かれている。
驚くべき話である。


しかし、5万丁も銃が出回っているのであれば、こうした事件が起きるたびに警察が取り締まりを強化しても、それ以上の勢いで暴力団員たちは、身勝手な動機で簡単に銃を使って人を撃つことが増えてくるのではないかと予想される。 こういう事件がしばしば起こり、やがて日常茶飯事のようになってくると、よし、俺も、と思う “模倣犯” が次々と出てくるのが怖ろしい。 腹の立つことがあれば銃を使って脅し、それでも気に入らなければ撃ち殺す…。 そんな人間が身近にいるかもしれない、と思うと、おちおち夜も眠れぬようになる。


それともうひとつ、この事件で見逃してはならないのが、事前のトラブルチェックの大切さである。 今回の事件を起こした男も、これまでしばしば暴力的な行為を繰り返しており、元妻は警察に相談に行ったりしている。 地元の人とも何度もトラブルを起こし、男は近所の人たちから怖がられ、疎んじられていた。 それでも、警察は、「民事不介入」を楯に、ほとんど取り合っていなかった。


僕も、地方公共団体に勤めているけれど、住民から、 「近所に危険人物がいるので何とかしてほしい」 というような苦情が寄せられることが多い。 ひとつ間違えれば危害を加えられそうなので、事前に食い止めてほしい、という訴えである。 そういうときは、精神的な問題を抱えている人間であれば保健所へ、そうでない場合は警察へ連絡をするのがいいでしょう、とアドバイスをする。 しかし、保健所は 「人権尊重」 を持ち出してなかなか腰を上げないし、警察も同様に、「人権」 と、「まだ犯罪は起こっていない」 ということで、動いてくれないのがほとんどのようだ。 こんなときは、 「地域情報」 としてマスコミが取り上げるのも、犯罪を防ぐひとつの有効な手段だろう。  …とは思うが、ここにも 「人権」 がたちはだかるし、特にマスコミは 「人権」 を正義の拠り所としている感があるので、地域の人たちに注意を呼びかける 「危害予報」 などは、絶対に書かないであろう。 事件が起きてから 「なぜ防げなかった?」 と書くだけである。


まあ、今回もつい、警察の一連の対応に問題があったのではないか、と思ってしまうけれども、考えてみると、警察が機敏に動いても結果を重視するあまり 「警察の勇み足か?」 などと過去から書き立ててきたマスコミにも責任がある。 警察官としては当然と思われるような行為にも、マスコミは厳しい非難を浴びせることが多い。 そのおかげで、日本の警察官は限りなく萎縮に近い慎重さを “智恵” として身につけ、その結果、警察官は一般の人たちからも軽く見られるようになって、他人の迷惑を顧みない行動があちらこちらで目立つようになり、そうこうしているうちに、この治安のよかったはずの国が、毎日のように凶悪犯罪が発生する国に転落してしまう一因を作ることになった。


今後ますます警察に期待するところは大きいけれど、すべてを警察に頼るだけでは世の中は良くならない。
社会に大きな影響を与えているマスコミの姿勢も見直すべきだし、町会などの地域の連携の大切さも再認識されるべきである。 地域の人間関係が綿密になれば、隣人同士の意思の疎通も図られ、犯罪を減らすことも可能である。 もちろん個人の倫理観の向上も不可欠であるけれども…。


社会全体の連環を再チェックし、自分たちの地域の在り方も見直しながら、こういう課題解決にどう取り組むかを、今回の事件を契機に一人ひとりが考えてみることも、同類の事件の再発防止のためには大切ではないかと思う。






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