秋の大型連休もいいが

     

     体育の日を元に戻すのが先決


ここ数日の新聞記事の中でも特に合点のいかなかったことが一つある。


それは、秋にもゴールデンウィークを、ということで、勤労感謝の日と体育の日を、11月3日の文化の日の前後に「移動」させようという政府の案に関する記事である。これが発表されたとき、祝日の意味が薄れるじゃないか、ということで、マスコミをはじめ各界からかなりの反対意見が出た。当たり前の話だろう。それでなくても、僕らのような団塊世代には、成人の日や敬老の日が、未だに1月15日や9月15日というイメージがつきまとっているものだから、その年によってころころ変ると、その日はなんの祝日なのかわからなくなるのである。


体育の日を10月の第2月曜日に変えてしまうなんぞは、もっとひどい所業であったと、僕は今でもそのやり方を恨んでいる。
それを、さらに今度は11月に移すだと…? 
冗談も休み休みにせい! …と、まあ、言いたいのであります。


勤労感謝の日は、元々は新嘗祭という新穀を神に捧げる収穫を感謝し、翌年の豊穣を祈るための祭儀であり、天皇自らもその祭儀を行った。1873年からそれが11月23日と定められ、1948年(昭和23年)に勤労感謝の日として国民の祝日になったという歴史を持つ。さすがに政府も、腰が引けたのか、この日を変えることは諦めたようだ。しかし、もうひとつの体育の日を11月1日に移して、それによって3日の文化の日との間にある11月2日が国民の休日になるので、その3連休を柱にゴールデンウィークを作ろうと目論んでいるのだ。これには断固反対である。そんなことより、体育の日を、元の10月10日に戻してほしいのである。


なぜ体育の日がそこまで虐げられなければならないのであろうか?


1964年(昭和39年)10月10日という日は、僕にとっても記念すべき日であるし、おそらくそういう人は多いと思う。


中学生の頃、学校から「ローマオリンピック」という映画を見に行き、大きな感動を受けた。その映画の最後、閉会式の場面で、この五輪が次のアジア初開催となる日本の東京に引き継がれるシーンがあった。
「ああ、次はこの日本でオリンピックをやるんだ」
…胸が熱くなり、早くその日が来ないものかと、はやる気持ちを自分で押さえられなかったことを記憶している。


その待ちに待った1964年10月10日がやってきた。
僕は高校1年生になっていた。
その日は、土曜日であった。
朝礼の時、校長先生が、
「今日はオリンピックの開会の日だから、授業は早く切り上げます。諸君は寄り道をせず家に帰り、テレビで開会式を見なさい」
と言ったときの僕のうれしさと言ったらなかった。


雲ひとつない青空の下、国立競技場で行われた開会式のあの感激は、死ぬまで忘れないだろう。その2年後、この日を「体育の日」として祝日に定められたことは、何よりも喜ばしいことであった。


…なのに、2000年に「3連休」を作る為とかへったくれとかで、10月の第2月曜日に変えられてしまった。あれはもう腹が立って仕方がなかった。今回はそれに追い討ちをかけるように、また「秋の大型連休づくり」などというわけのわからないものに利用されて11月に移されようとしている。いったい誰がどこで何のためにそういうことを考えるのであろうか? 詳しく聞かせてもらいたいものである。


ただ、救いはある。
この体育の日を11月に移すより、むしろ10月10日に戻すべきだという声も、政治家やマスコミの一部で上がっている。その「声」が、どんどん大きくなることを、心から祈念する。


現在、東京都は2度目のオリンピック開催をめざして、石原都知事を先頭に盛んにアピールしているが、2度目の開催など、ほとんど意味はない。それなら、別の都道府県での開催を推すべきである。「東京オリンピック」は一度だけでいいのである。それは永久不滅のものなのだ。あの10月10日に、日本中の人々が感動した、ああいう熱烈な国民挙げてのスポーツの祭典に怒涛のごとく酔いしれる、というのは、これからの日本ではあり得ないのではないか。それだけ「体育の日」は10月10日と切り離せないのである。


東京都も、9年先の東京オリンピック招致運動より先に、早期に体育の日を10月10日に復帰させる運動に力を注いでほしいものだ。