10 日本一周 山の旅人

  

     自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第10回



鳥海山へ登ったけれど…




 このクルマで日本を一周し、100の山を登る人がいた。



吹浦は、ふくらと読む。
ここへ来る途中にあった芭蕉の句碑には、吹浦(ふくうら)とある。
「あつみ山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕涼み」
どちらにしても、風が吹き過ぎる、涼しげな地名である。青い波があとからあとから寄せてくる美しい砂浜が続く名勝だ。


吹浦ユースホステルのスタッフはすべておばさんである。
どのおばさんも、明るくて底抜けに親切だった。


この日、いきなり飛び込んできた僕を含め、お客は3人であった。ひとりはボロボロの軽自動車で「日本一周山の旅」をしているカトウさんという東京の男性。もうひとりはカメラを片手に単車で2ヶ月かけて日本一周をしている男性で、これも東京の人だ。2人とも、年齢は僕より4、5歳上のようであった。


金沢ユースホステル以来5日ぶりに風呂に入り、この旅行で初めて洗濯もして、僕はようやく落ち着きを取り戻した。食堂に、山の旅と単車の旅と自転車の旅の3人が集まって食事をした。まだスタートして間もない僕は、すでに北海道を回ってきたという「山」と「単車」の両先輩から、波乱とスリルと滑稽に満ちた体験談を聞かせてもらった。両先輩は、僕とは逆のコースで日本一周をしている。話を聞きながら、僕はこれからの旅への不安が徐々に和らいでゆくのを感じていた。




     
  単車で日本を一周している東京の男性。



ここの部屋は、金沢のように二段ベッドではなく、普通の和室であった。僕はカトウさんと同室であった。布団を並べて寝ながら夜遅くまで話し込んだ。


カトウさんは、あのオンボロ軽自動車で旅を続けている。日本の百の名山を自分で選び、麓まで車で行って、そこから登山で頂上をめざす。そういう旅を続けているのである。
「いまは失業中です。でも、夢が叶ったから…」
カトウさんは、恥ずかしそうに口ごもって、そう言った。長旅だけに、いかにうまく節約するかがポイントなんだそうである。たいていは車の中で寝て、ときどき、骨休めにユースホステルへ泊まる。食料は、行く先々でパン工場を訪れて、食パンのヘタ(耳)をもらっているという。
「はぁ〜…パンのヘタ、ですか…」
カトウさんの、夢を実現するための気迫が、その話からうかがえた。その徹底ぶりに、僕はただうなずくよりほかはなかった。僕には、到底できないことだ。


ポツリポツリと、ゆっくりしたテンポで、ひとことずつ吟味しながら話すカトウさんだったが、話の切れ目でしばらく黙っていたかと思うと、ふと改まったように、
「明日、鳥海山に登るのです。よかったら、いっしょに登りませんか?」
と僕のほうに身体を向けた。
あぁ、あの鳥海山かぁ…。
昨日の制服制帽男子の誇らしげな顔を思い出しながら、
「いいですよ」
と、僕は即答し、あの雪を被った勇壮な山の姿を思い浮かべた。
鳥海山に登る…。思っても見なかった経験ができるのだ。ちょっとわくわくした。


こう見えても、僕は高校の1年生のとき、山岳部へ入部した「輝かしい」経歴を持っているのだ。しかし、体重が僕の倍ほどもありそうな先輩を肩車して、道路の電柱を4つ、5つ、6つと歩いていくようなトレーニングが毎日繰り返されるので、これでは身長が伸びるどころか縮んでしまうのではないかという危惧を持ち、1ヶ月でさっさとやめてしまった。結局登った山といえば、新入生歓迎会で連れて行ってもらった近くの六甲山へのハイキング1回きりであった。それでも人には、「ボク、山岳部でした」と、ときどき自慢したりする。


カトウさんが「おやすみなさい」と電気スタンドのスイッチを切った後も、身体の中で「もと山岳部」の血が騒いだのだろうか、目を閉じてもなかなか眠れない僕であった。


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6月26日。
朝食後、単車で日本一周の男性が僕に「日本一周自転車旅行」という新書版の本をくれた。カトウさんと2人で単車の男性を見送ったあと、今度は僕たちが、宿のおばさんに、「気をつけて登るのよ。上はまだ雪だからね」と見送られ、カトウさんの軽自動車の助手席に乗り込んだ。
「行って来ます!」
と僕は窓から身を乗り出して、おばさんに手を振った。
車はガタンッという大きな衝撃とともに、なにやら苦しそうな音を立て、車体をブルブルと小刻みに震わせながら、ゆっくりと走り出した。

吹浦は鳥海山の登山口としても有名なのだそうだ。軽自動車から降りたとき、小雨がパラつきはじめた。





ここから鳥海山に登る。左はカトウさん。




「じゃ、いいですね。足元に気をつけてください」
カトウさんの言葉を合図に、僕たちは登り始めた。霧が立ち込めて視界が悪い。やがて一面が雪景色となった。雨が強くなり、足元が滑る。体が冷えてくる。何回も滑って転ぶ。カトウさんも、ツルッと滑って尻餅をついたりしている。雨粒か粉雪かわからないようなものが舞い散り、空はいよいよ重くなってくる。10メートル進むことが大変な難行になってきた。


(ひょっとして、僕ら、遭難するんとちがう?) 
と、実績を持たぬ「もと山岳部」は、大いに不安になってくる。


途中の山小屋に避難してしばらく休憩した後、カトウさんは意を決したように、
「このまま頂上を目指すのは危険です。残念ですが、下りましょう」
そういって、深い落胆の混じったため息をついた。僕は「そうですね」と答え、ホッと胸をなでおろし、安堵のため息をついた。
僕たちは、それぞれ色合いの異なるため息をつきながら、再びツルリツルリと滑って転びながら、下山した。


カトウさんの燦然と輝く日本一周山の旅も、残念ながらその実績から、東北の名峰・鳥海山は外れることになった。さぞ無念だったろうと思う。
もし、僕がいなければ、カトウさんはがんばって山頂まで登ったかもしれない。そう思うと、ちょっと申し訳ない気持ちがした。
それでも、登山口の軽自動車にたどり着くまで、カトウさんは二度と落胆の表情は見せず、冗談を言ったりしながら、登山慣れしていない僕をずっと心配し、気遣ってくれたのである。

それにしても、昨日見た…崇高で気品に満ちた鳥海山は、こんなにも暴れん坊だったんだ。山は見かけによらぬものだ。人間より、もっとひどい。

カトウさんは、下山するとそのまま次の目的地に向かってユースホステルを出発した。


別れるとき、カトウさんは、旅の主な食料である食パンのヘタを、ひとつかみ新聞紙に包んで、僕にさし出した。
「自転車旅行の成功を祈っています。ボクにはこれくらいのことしかできないけど」
例のごとく、カトウさんは照れくさそうに、そうつぶやいた。僕は、左手でもらったパンのヘタをつかみ、右手でカトウさんの手を握って別れを惜しんだ。
「カトウさんも、気をつけて旅を続けてください」
「うん。東京へ来たときは、家に寄ってね。いつ帰るかわかんないけど…」
そう言い残して、カトウさんは汚れた軽自動車に乗り込み、走り去っていった。





これは僕。「もと山岳部」は悪戦苦闘です。




 おどけてみせるカトウさんは、余裕です。
 



その夜、僕は、吹浦ユースホステルにもう1泊した。泊り客は僕ひとりだった。夕食後は部屋で、単車の男性にもらった本を読んだり、大阪へ手紙を書いたりして過ごし、9時半ごろ布団に入った。カトウさんにもらったパンのヘタは、明日の昼食用に取ってあった。


それが入っていた新聞紙の包み紙を枕元に置き、布団の中で一切れだけ手に取り、かじってみた。ぷーんと香ばしい匂いがした。
胸が熱くなり、なんだか涙がこみあげてきた。