11 秋田への道

  

     自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第11回



おばこ街道を快適に北へ北へと…







6月27日。
なぜ自転車でそんなに遠くまで旅をするのか? それほど自転車が好きなのか?旅行前、友達によくそう訊かれた。特にこれといった理由はない。歩いていたのでは時間がかかり過ぎるし、自動車は運転ができない。その中間に自転車がある。まぁ、その程度のことだ。


ひとつ僕には、そんな質問に対して、人の理解を得やすい身の上話があった。僕は、自転車店で生まれたのである。母方の祖父の家は京都市上京区西陣にあり、小さな自転車店を営んでいた。僕はそこで生まれ、幼稚園の中途までそこで育った。自転車が、いつも周りにあった。


その後母親とともに大阪市へ引っ越したが、僕が小学生の上級生だった頃、ある日曜日、祖父が京都からひょっこりやって来た。そのときほど、びっくりしたことはない。祖父は、僕に新しい自転車をプレゼントしようと、その自転車に乗って京都から大阪まで走って来たのだ。当時の僕には、電車を乗り継いで遊びに行くだけでも遠い遠い京都の実家だったのに、その齢で、子供用の自転車を漕いでやって来た祖父を見て、僕はあきれると同時に、自転車の威力を見せつけられた思いだった。
〜 げぇっ。自転車って、どこへでも行けるものなんだ 〜
陸が続いている限り、自転車があれば、たとえ地の果てまでも行くことができる。たぶん僕はその時、いつかこんな旅をしたいと無意識に感じていたのかもしれない。


「…なるほどなぁ。だから自転車旅行かぁ」
人はそれを聞くとだいたい納得するのである。わかりやすくて便利な話なのだ。


吹浦ユースホステルの一室で目を醒ますと、外は豪雨である。しかしまぁ、梅雨だといってもよく雨の降ることだ。よほどもう1日ここで泊まろうかと弱気になりかけたが、なんとか気持ちを奮い立たせて出発した。走り出したとたん、神よ…、急に雨が止み、日が照ってきた。そして間もなく道路は秋田県へ入った。


「おばこ街道」と呼ばれる道路を、風を切って走る。車が少なくて走りやすい。景色も良い。久しぶりの青空の下でのサイクリングである。


この年、「はしだのりひことシューベルツ」 が歌う「 風 」という曲が大ヒットした。
この歌は僕の旅のテーマでもあった。


 ♪♪ 人は誰も ただ一人旅に出て
    人は誰も ふるさとを振り返る
    ちょっぴりさびしくて
    振り返っても
    そこにはただ風が
    吹いているだけ
    人は誰も 人生につまずいて
    人は誰も 夢破れ 振り返る

    何かを求めて
    振り返っても
    そこにはただ風が
    吹いているだけ

    振り返らず ただ一人一歩ずつ
    振り返らず
    泣かないで 歩くんだ   ♪♪


何度聴いても、胸にしみる。
この旅行中、ほとんど毎日のようにこの歌を口ずさんでいた。
そして今日のおばこ街道の走行は、またこの歌にピッタリだった。

途中で象潟を通過した。「おくのほそ道」ではあまりに有名な象潟も、今では何もないところである。かつて松島と並び称された景勝の地は、芭蕉が訪れた100年ほど後に起きた大地震で地盤が隆起して、海そのものが失われてしまったそうである。


昼食は、むろんカトウさんからもらったパンのヘタである。菓子店で牛乳を買い、店の前に放り出すように置かれていた長椅子に腰掛けて、僕はパンのヘタを、むさぼるように次々と口に放り込み、牛乳で流し込んだ。





 象潟。何もない。ただ、風が吹いているだけ。




食べ終えると、また走り出す。走って食べてまた走る…その繰り返しである。田園がどこまでも広がる風景から、やがて次第に住宅がたて込みはじめ、車の量もだんだん増えてきて、どうやら秋田市内に入ってきたようだった。午後2時40分ごろ、秋田駅に着いた。


郵便局へ行き、大阪の両親宛に手紙を書いて送った。写真のフィルムも同封した。僕がこれまでの10日間で撮った写真を両親が見れば、旅の様子も少しはわかって、安心するに違いない。新潟の旅館・般若のおかみさんは、あなたが私の息子だったら、こんな旅行をしていると思えば夜も心配で眠れないだろう、ご両親にはなるべく手紙を書いて送ってあげなさい、と言っていた。僕はかなり頻繁に、駅や郵便局から、大阪へ手紙とハガキを書き送っていた。それは友人、知人、恩師、ガールフレンド、そして僕が夜間に通っている速記学校の同じ教室の人たちなどであった。けれど両親は、いつもあとまわしになっていた。よく考えると、両親に手紙を送ったのはこの時が初めてだったのではないかと思う。


市内にあるユースホステル・八橋青年の家に行き、泊めてくだされ、と頼む。モヤシのようにひょろんとした頼りなさそうな男が、椅子に座ったまま、
「だめだよ。きょうは予約でいっぱいなんだから」
とあっさり宿泊を拒否し、
「きょうは、重量挙げのミヤケさんも来るんだ」
と、意味のわからないことをつぶやいた。僕は、もう、新潟のような惨めな思いをするのはたくさんだった。この宿舎の前にずいぶん広い庭があったので、
「じゃ、庭でテントを張らせてもらいます。ほかに泊まるところ、ないですから」
と、ちょっとふてくされ気味に言い、そのまま回れ右をして外へ出ようとした。すると、モヤシ男は立ち上がって、ちょっとちょっと、と声をかけ、
「だったら、大広間を使うといいべさ」
と言って僕を中へ招き入れてくれた。僕は、「ヤッタぁ」と心の中で快哉を叫んだ。何でも言ってみるものである。


案内されたところは、100畳はありそうな驚くべき大広間であった。誰もいない。がらーんとしている。とりあえずその隅っこに荷物を置き、外へ散歩に出た。


僕は、千秋公園を歩き回ったり、「 秋田犬 」 の看板がある店の中に入って生後50日ぐらいの可愛い子犬が販売されているのを眺めたり、駅で数枚のハガキを投函したりしたあと、駅前の食堂で150円のトンカツ定食を食べて、またぶらぶらと八橋青年の家へ戻った。


宿に帰り、100畳の大広間の隅で、与えられた一枚のふとんを敷いて寝る。何もない大広間の片隅というのは、なんとも不気味な雰囲気が漂う。深夜、目を醒ますと、人影もなく、薄暗くてだだっ広い大広間が、ぞっとするような気持ちの悪い空間をつくりだしている。天井から、あるいは壁の向こう側から、何かがどろどろ〜んと出てきそうである。怖がることに関しては他人にひけをとらない僕である。暑かったけれど、すっぽりと布団を頭からかぶり、身体をくの字に曲げて目を閉じた。廊下に出てトイレに行くのも怖く、夜が明けるまで、ずっと辛抱した。寝入った拍子に寝小便をしてしまうのではないかと、心配になったほどである。






 秋田市内の風景。





 秋田犬を売る店。