13 十和田湖の険しい道

  

     自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第13回



険しい険しい山道にぎゃふ〜ん 






一番下の十二所から出発。国道103号を十和田湖へ走る。
        (この地図は昭和44年当時のもの)


6月29日。
これほどひどい道だとは思わなかった。自転車を漕ぎ始めてからずっと登り道である。国道103号をひたすら登り、十和田町を過ぎ、さらに山の奥深くへ入ってゆく。自転車は、乗ったり歩いて押したりの繰り返しである。十和田湖へは簡単に着くものだと思っていたのが大きな間違いであった。人影も、車も、ほとんどない。まさか、道を間違ったのでは…と不安になる。行く手にひとり、野良仕事をしている人の姿が見えたのでちょっと安心した。道を聞くつもりで近づいて、前にまわったら、それはカカシであった。




    上り道が続く。


やっとの思いで登りきったところが発荷峠である。自転車を置いて、展望台の階段を上って行くと、眼下に、灰色に煙る神秘的な十和田湖が広がっていた。


牛乳売りのおばちゃんがやって来た。僕は牛乳を一本買い、蓋をあけながら、おばちゃんに、この景色はこれまで見た中で一番美しい景色であると思う、と言って瓶に口をつけた。
するとおばちゃんは、ジロリと僕を睨みつけ、「当たり前だぁ。日本で一番美しいんだから」と、苦々しく吐き捨てるように言った。そんな怖い顔をして言わなくともいいんじゃないかと思うけれども、たしかにこの発荷峠から見た十和田湖は、夢の中の光景のようで、うっすらとかすんで見えるのがいっそう幻想的な風情を引き立てていた。牛乳売りのおばちゃんから見れば、「美しい景色」というような言葉など、もう耳にタコが出来るほど聞き飽きた陳腐な表現だったのだろう。そう思うと、この無愛想もわかる気がする。




  発荷峠から十和田湖を望む


発荷峠から一気に下る。
この急勾配の下り道は真下の十和田湖に向かい、羊腸と言うか、行きつ戻りつしながらくねっていて、僕は両手でブレーキをきつく握りしめ、サドルから尻を浮かせながら、全身を緊張させて慎重に下って行った。下りきると、湖面が真横にきた。ふ〜っと、呼吸を整え、大きく息を吐く。テレビや映画で見たことのあるヨーロッパのスイスかどこかの湖畔を駆け抜ける気分であった。登りの苦しみも少しは消え行く瞬間である。


休屋(やすみや)というところに着いた。
ここは遊覧船の発着場所で、土産物店がズラッと並んでいる。発荷峠からここまで、すれ違う人もなく、静かな羊腸の道と湖畔を走ってきたが、この休屋に来たとたんに、どこから湧いて出てきたのかと思うぐらい、大勢の観光客で賑わっていた。


手帳のカレンダーをのぞくと、きょうは日曜日だった。曜日も、改めて手帳を見ないとわからなくなってきている。まぁ、曜日ぐらいどうということはないや、とこのときは思っていたのだが、このあと、北海道へ行って、この曜日の不認識がたいへんな事態を招いてしまうことになるのだが、それはまたその時に詳述したい。


観光案内所へ行って、スタンプを押そうと思ったら、貼り紙がしてあって、「スタンプを押した人は10円入れること」などと書かれている。スタンプを押すのに料金を徴するなどとはどういう料簡なのであろうか。十和田湖の風雅に対して、あまりに俗物的かつ不埒なふるまいである。僕はぶつぶつ文句を言いながら、サイン帳を出し、スタンプを押した。10円なんぞ、誰が入れてやるものか。


昼食は食堂でカレーライスを注文した。水が入ったグラスの中に、スプーンがどぼんと突っ込まれて運ばれて来た。こういうのが、この地方の習慣なんだろうか。


湖を背景にに、そのへんにいた地元の男性らしき人に写真を撮ってもらう。
「いいですね、こんな場所の近くに住んでおられたら」
と、別れ際にお礼に添えてひとこと加えたら、
「あたしゃ九州から来たんだ。ここは初めてでねえ…」
と言われて、僕はうなだれた。


「兄さん、船に乗らねえか。自転車はタダにしとくよ」
制服を着た男が、自転車を押して湖畔をうろついていた僕を呼び止めた。湖の向こう岸である子(ね)ノ口というところまで行く遊覧船だそうである。料金は人間だけで200円だというので、誘われるまま、乗ることにした。これが幸運だった。後から知ったことだが、この休屋から子ノ口まで自転車で行けば、また急坂を登って下ってという険しいコースが待っていたからである。せめてここで楽ができたことは幸いだった。「 渡りに舟 」 とはこのことであった。


船から、高村光太郎の 「乙女の像」 が見えた。
…ん? 僕はそこへ行こうとして自転車を押していたことを忘れていた。あわててカメラを取り出してシャッターを押したが、のちにプリントしたそれを見ると、「乙女の像」は粒のようにしか写っておらず、がっかりした。


甲板で、湿った生ぬるい湖の風に吹かれていると、若い男性が声をかけてきた。
十和田湖はどうだい? 」
今度は間違いなく、地元の人のようである。僕は 「 最高の風景である 」 と言葉を強めて賞賛すると、彼は意外にも少し顔をしかめてみせた。
「ああ、天気さえよければ、もっとすごいのだが…」
と、恨めしそうな目で空を仰いだ。
きょうは朝からずっとこんな曇り空なのだ。


1時間、船に揺られたあと、子ノ口に着いた。
「はぁい。自転車の人が一番先に降りてくださ〜い」
と、岸壁の係員がこちらを向かって叫んだ。
自転車を押して船から降りるのは僕ひとりだけである。
乗船客のほとんどの視線がこちらに注がれている。
どうも恥ずかしくて仕方がない。




休屋から子ノ口まで遊覧船に乗る。子ノ口からまた険路を黒石方面へ。




 船に乗っている間は、つかの間の安息。



子ノ口からがまた大変だった。
御鼻部山(おはなべやま)は標高1000メートル以上もある。この山道を頂上まで、ほとんど自転車を押して上がる。道は未舗装で、ガタボコ道。埃にまみれて押しているうちに、やがて雨まで降り始め、下に見えていた十和田湖もいつのまにか靄の中に消えてしまい、何も見えなくなった。


「おはなべやま展望台」にもまったく人影がない。
雨の中、悪路の上り坂を約2時間、体力をふりしぼり、押し続けた。自転車というものがつくづくイヤになり、その場に捨てて帰りたい気持ちになった。2時間後、ようやく下りに入っても、未舗装の道はガタガタで、自転車に乗ったまま降りるとバランスを崩して転倒しそうになる。どこまでもうんざりさせるコースであった。


やっとのことで舗装道になり、自転車に乗って下っていると、サイクリストのグループ5、6人が僕を追い抜いて行った。そしてそのあとしばらくすると、道路わきで僕を待ち構えていたようで、みんなこちらを向いて両手を振ったので、僕も自転車を停めた。彼らは、僕に、今日の宿泊所は決まっているのかと訊き、僕が首を横に振ると、自分たちは弘前大学のサイクリング部の学生であるが、今夜は、黒石にある自分たちの寮へ泊まってくれたらいい、と申し出てくれた。


僕はありがたくそれを受けることにしたが、いざそのグループに混じって走り始めたら、いっそう激しく空腹を覚えた。この先、黒石まではまだ距離がありそうである。おまけに彼らは僕よりも相当スピードが速い。こんなペースでそこまで持つかどうか、全然自信がなかった。う〜ん、かえって面倒なことになったなぁ、と戸惑いながら、激しい雨の中を歯を食いしばって下って行くと、西十和田ユースホステルという看板が見えた。もうこれが限界だった。


僕は彼らに合図をして、もうこれ以上走ることは無理だからここで泊る、と伝えた。
「そうですか。じゃぁ、これで失礼します。がんばってくださ〜い」
みんなに励まされ、僕は西十和田ユースホステルへ向かった。


自転車から降りると、極度の疲労と空腹で目が回り、足がよろめいた。ユースホステルのドアを押し開け、誰もいないロビーの中へ足元をふらつかせながら入り、「すみませ〜ん」と宿の人を呼んだ。奥のほうから、若い女の人が出てきた。
「今夜、泊めてもらえますか? 予約はしてませんけど…」
「はい。いいですけど…。自転車か何かで?」
「自転車です。はい。お腹、すいています…」
そう言うのが精一杯で、僕はポンチョを脱いだ。

〜 うぅぅぅ〜…。もう、こんな旅行、絶対にイヤだぁ! 〜

そう、声を張り上げたい気持ちだった。