14 西十和田ユースホステル

  

    自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第14回



ユースホステルで思ったこと 








西十和田ユースホステルは、一組のご夫婦が運営しておられた。この日の客は、半死半生の体で飛び込んできた僕ひとりだけであった。


お風呂に入ったあと、僕は食堂の隅に座って、夕飯を食べた。ご飯を、茶碗に6杯食べた。胃袋が故障したように、いくらでも入った。


どうも僕には計画性というものが生まれつき欠如しているようである。ここまで空腹になるのなら、せめて菓子ぐらいは携帯しておくべきだった、と反省する。食べ物などは道端の店でいくらでも買える、なにせ国道を走るのだから…そう高を括っていたのだが、十和田湖・子ノ口からの道はすべて山の中で、店どころか1軒の家も目にすることはなかった。一体いつになったら食べ物にありつけるのだろうと思いながら走っていたが、ふと、「飢え死にする人って、こういう感じで死んで行くのか…」
そんな想像をしてしまったほどである。
「同じ死ぬなら…」
僕は、飢え死にではなく、食べ物をいっぱい口に詰め込んで窒息死したいと思った。


食堂でご飯を食べながら、少し腹が落ち着いてくると、今度はいろんなことが浮かんでくる。この旅行に対する意欲も気迫も根性も、すっかりしぼんでしまった感じだ。
どうにでもなれ、という開き直りが、一種の快感を伴って全身を駆け巡る。青森まで行ったら、電車に乗って大阪へ帰ろう。必ず完走します…なぁんて、誰にも約束したおぼえもないものね。友だちや両親に対して、旅の中止を告げる言い訳も、今から考えておこう…。


さっきから、誰かが僕のそばをうろうろしていた。


2歳ぐらいの女の子である。すぐ横へ来て、僕の顔を、じっと覗き込んだりする。僕が、おひつから何回もご飯を茶碗に入れるのを面白そうに眺めている。急にちゃかちゃかと歩き出し、食堂を一周したかと思うと、また僕のところへ来る。さっきから、そんなことを繰り返していた。


その子は、厨房にいるこのユースホステルの奥さんのお嬢ちゃんのようだった。食事の終わりごろになると、僕の足元にもたれかかったりし始めた。それを向こう側にいる奥さんからたしなめられると、不安そうに僕を見るのだけれど、僕がニィっと笑うと、恥ずかしそうな笑顔を見せたりした。僕は、食事を終えた後も、しばらくその女の子といっしょに過ごした。


僕の心の中で、何かが溶けていくような気がした。




ユースホステルの前で、女の子と。





この値段の5倍はお世話になった。