20 白老の誓い!

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第20回



白老ユースホステルの5人の出会い。


  
風まかせ、お気楽な5人のおちこぼれ、白老でめぐり合う。



 
白老のバス停で降りた。千葉ちゃんの重いリュックを担いで、きょうの宿泊予定である白老ユースホステルに行った。中から出てきたのは、あごのしゃくれた色の黒い痩せたおじさんだった。両手をポケットに突っ込んだまま、いきなり、
「おめえ、肉好きか?」
と突拍子もないことを言い、ニィっと白い歯を見せた。どうも人相はよくないが、顔中をシワにした笑顔は憎めない。
「肉? なに、それ? まぁ、好きですけど…」


こんな会話で始まった白老ユースホステルであった。


「オレはソンチョウって言うんだ。ここの居候だけどな。上がれよ」
ソンチョウさんに促されて中へ入り、重いリュックを下に置く。


僕が到着して20分ぐらい後に、千葉ちゃんが僕の自転車に乗って宿にたどり着いた。
「いやぁ〜。チェーンがさぁ、3回も外れちゃって…」
千葉ちゃんはうんざりした表情で、自転車からおりた。様子を眺めていたソンチョウさんが、千葉ちゃんに近づいてきて、「おめぇ、肉好きか?」 と、また訊いた。
「ここのなぁ、晩飯はトンカツなんだ。どうだ。うれしいだろ。肉、好きか?」
どうやらソンチョウさんは、訪れる客すべてにこの言葉をかけているようである。


ソンチョウは漢字で書くと「損丁」だそうである。意味は聞かなかった。早稲田大学の4年生と言う。顔だけを見ているととっくに30歳を超えているようなおじさんの顔である。このユースホステルで、スタッフの手伝いをして居ついているのだ、という。
「オレはなぁ、毎年夏に北海道のユースホステルをいくつか渡り歩いてさ、こんなことしてタダ飯を食わしてもらっているんだ」


二段ベッドの部屋には、僕と千葉ちゃんを入れて5人が相部屋になった。一人は明治大学の学生で、自転車で北海道1周をしているフクダさん。一人は高知大学の学生で、自転車で日本1周をしているヤスダさん。一人は列車の旅行で、国鉄に勤めている東京在住のクマガイさん。そして千葉ちゃんと僕だ。5人はすぐに意気投合した。


夜、トンカツの食事の後、宿泊客全員が、七夕の前夜祭をしようということで食堂に残って歓談した。みんなで折り紙を作り、ランプに明かりを灯し、歌を歌ったり雑談を楽しんだりした。イギリス人のカップルが1組いた。カップルと言っても、お互い別々に日本へやって来た一人旅同志だったが、途中で出会って仲良くいっしょに旅をしているということだ。男はピーター。女はエレン。2人とも、日本語はほとんど話せなかった。




        
宿泊客全員の記念写真。前列左にピーターとエレン。




「ねぇ誰か、この2人に英語で七夕さまのことを説明してやってくれないか?」
と、早稲田大学の損丁さんが切り出した。
明治大学のフクダさんは、
「いやぁ、フランス語なら少しは話せるんだけど…」
などと気障っぽく言い、舌をペロリと出して、しり込みをした。
高知大学のヤスダさんは、
「ボクの英語は土佐ナマリがきついから、ダメやわ」
とこちらも慎み深く遠慮する。
「じゃ、そっちはどうだい?」
損丁さんはそう言って、僕のほうを見た。


およそ慎みというものがなく、調子に乗ると何でもしてしまう僕である。英語はめちゃめちゃニガ手だったけれども、旅の恥はかき捨てだ。
「ほんなら、やってみましょか」
と、ピーターとエレンに向かって、僕は思いつくままにいい加減な単語を連発し、身ぶり手ぶりも交え、七夕さまの由来とわが国の風習についてセツメイをした。どんなセツメイをしたかは、さすがに恥ずかしいのでここには書かない。ただ、「七夕とは、スターフェスティバルなのだ」 と適当に言ったことは、間違いではなかったようである。だけど、まともなのはそれだけで、その他は、でたらめと嘘八百と口から出まかせの出ホーダイであった。それでも、なんだか、2人の英国人だけじゃなくまわりの日本人にもバカにウケてしまったようで、室内は笑いに包まれた。ピーターとエレンもその都度 「わははっ」 と日本語(?)で反応した。損丁さんも 「ウハウハウハウハ」 と腹を抱えて笑い転げ、挙句の果てに僕に白老ユース創設以来初の 「英語バカセ号」 を授与する、ということを全員の前で高らかに宣言した。


さっそくバカセ号の称号の授与式が行われ、僕はバンライの拍手を受けて、それをありがたく押し戴いたのである。


そのあと僕らは、損丁さんの巧みな進行で、ピーターとエレンを囲み、夜遅くまで騒ぎ続けた。





 損丁さんから授与された「英語バカセ号」。




部屋に戻った僕たち5人は、まだまだコーフン冷めやらず、他愛もないことをあぁだこぅだとしゃべり続け、めったに騒がない千葉ちゃんまでも、こちらがびっくりするほどはしゃいでいた。そして、誰から言い出すともなく、ここでこうして出会ったのも何かの縁、5人で永遠の友情を誓い合って記念の会を結成し、本日の疾風怒濤の大狂乱を末代まで語り継ごうではないか、と、三国志の桃園の誓いも顔負けするほどの心意気を示し合い、WOCの会を結成したのである。


…WOCの会? いかにも怪しげであるが、いちおう正式名称もあるのだ。先刻、ピーターとエレンに白老の地名のことを、「White old」 などと教えた日本人がいた。2人はそれを聞いて、「オー! ホワイト・オールド・ネ〜」 と小躍りして喜んだ。何でも喜ぶ大英帝国の2人である。まぁ、そこから 「WOC」 と命名したのである。つまり、「ホワイト・オールド・クラブ」 …。なんだかウィスキー愛好者の集まりみたいだけど。僕たちは今日のこの出会いを奇禍として、今後、年に一度、イチドウに会することを、ユーカラの精神にかけて固く誓い合った。


そしてWOCの名誉ある初代会長には、ピーターたちに 「White old」 などといういかがわしい造語を吹聴した僕が、全員一致の文句なしの指名推薦で選ばれたのである。





 ピーターが僕のサイン帳に書いてくれた。