50 恐怖の恐山

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第50回



恐山での1泊は 文字通り 「恐怖の夜」 であった




恐山…。


死者の霊が集まる山…。
一人なら絶対に来なかった場所である。


宇曽利湖は、ひっそりと静まり返った美しい湖だった。
だが、それをとりまく周囲一面は、異様な光景であった。
三途の川や血の池地獄、無限地獄などと呼ばれる
多数の噴気孔や霊場がある。
賽の河原にうず高く積み上げられた小石。
目に入る風景は、すべて灰色一色と言ってもいいほどだ。
寺の建物も、石灯籠も、大きな岩も、
ことごとく灰色に塗りつぶされている。
死、そのものの風景、とでも言うべきか。
強い硫黄の臭いがたちのぼり、むせ返りそうになる。
温泉が、いたるところに湧き出ている。
「こいつぁ、どうも薄気味悪いところだなぁ…」
大将も面食らった様子だ。
死者の魂がここに寄り集まってくるのだから、
この光景も当然なのかもしれない。
あの有名な、死霊の言葉を伝える「いたこ」は、
いつもここにいるわけではなかった。
毎年7月の祭りの時にだけ、
ここで口寄せをするのだそうである。


ともかく、大将と僕は恐山を見学に来た、
…というより、泊まりに来たのである。
宇曽利湖のほとりにテントを張った。
硫黄の臭いが強烈だけれど、我慢しなくてはならない。
僕らはありあわせのもので夕食をとり、それが終わると、
別にすることもないのでお互いのテントに入り、
もぞもぞと寝袋にもぐりこんだ。
糠平ユースホステルで温泉風呂に入って以来、
ず〜っと風呂というものに縁がない。
大将に会ってから一度も風呂に入っていないことになる。
帯広産業大学、襟裳岬ウトナイ湖、函館の木賃宿立待岬
そして下北大間崎のテントから今日の恐山と…、
もう1週間もご無沙汰である。
着替えも、襟裳岬で汚れたままだ。
…やれやれ。
乞食のような生活である。 情けない気持ちになった。


情けない気持ちに、追い討ちがかけられた。
夜更けになって雨が降ってきたのである。
それも、これまで見たこともないようなものすごい雨だ。
じゃんじゃんバリバリと降りまくる。
目を醒ましたまま眠れずにいると、
やがて、テントから雨水がポタポタと漏ってきた。
寝袋が濡れ始めた。 これは寝ているどころではない。
僕はテントの中で座り込み、傘を差した。
テントの中で、傘を差す…。 
これほど情けないことはないだろう。
隣のテントの大将はどうしているのだろうか?
たぶん、昼のアワビ獲りに疲れてグーグー寝ているのだろう。
なにしろ、「か弱い」僕と違って彼は豪傑だからな〜、
などといろいろ考えているうちに、夜が明け始めた。


寝袋も、ほかの荷物もボトボトに濡れてしまった。
朝が来て、雨が止んだのがまだ幸いだった。
大将が、ごそごそとテントから這い出してきた。
僕はテントから首だけ出して、大将を見た。
彼は、目を真っ赤に腫らしている。
「くそぉ〜。すげぇ雨だったぜ」
大将は、ほとんど一睡もできなかったという。
僕の予想は見事にハズれた(何となく安心した)。


大将は、寝返りを打ったとたん、頭をバシャっ!…と
「水溜りに突っ込んじまったんだよぉ。考えられるか?」
あきれている大将のテントの中を覗き込んで見ると、
僕のテント以上に、見るも無残に水浸しになっていた。
「ひでえじゃねぇか、まったくぅ。冗談じゃねぇぜっ」
大将は泣きそうな顔をして僕のほうを見た。そして、言った。
「さすがの俺も…、さすがの俺も…、こんなひでえ雨は…」
あとは絶句…。
僕も絶句…。


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積み上げられた小石。 
これもこの場所の風情か。

 

 

   ↑ どこまでも広がる賽の河原。 


 
     ↓ 大将が行く。

  



  
宇曽利湖畔にテントを張るが、夜は散々な目にあった。