51 下北無情・有情…?  

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第51回



下北ユースホステルは満員で断られ…





この日は、恐山から横浜というところまで走った。




8月3日。
どしゃ降りの雨に散々な目に遭わされた僕たちは、テントをたたんで、新しい一日の始まりになんとか気持を奮い立たせようと努めた。荷物はほとんどびしょぬれの状態だ。


宇曽利湖のまわりは、昨日の夕方にはいくつかテントが張られていたが、朝、僕らがテントから顔を出した時には、それらは影も形もなくなっていた。みんな、夜中に撤退したのか、あるいはその前にさっさと立ち退いたのだろう。


恐山は、朝は朝でガスに煙り、いよいよ不気味極まる様相を呈していた。大将と二人であちらこちらをうろつきまわる。臭い。独特の臭気である。雨は降ったり止んだりを繰り返している。


昼ごろに恐山を出発した。昨日の道を逆に走るのだから、またあの強烈な急勾配の坂道が立ちはだかる。昨日、逆立ちをするようにして下った坂道を、今度は登る。道は泥んこだし、自転車を押す力に目一杯の馬力をかけなければならない。途中、「冷や水」 と立て札のかかった湧き水のところで休憩し、顔を洗う。「冷や水」 って、何か 「年寄りの冷や水」 という言葉を連想してしまう…。途中から舗装の下り道に変わり、ようやく快適な走行となった。



  

     

冷や水」 で、顔を洗う。



 
   
再び田名部に戻ってきた。 
田名部は、現在はむつ市に併合されている。




田名部に着いた。
小さなマーケットがあったので、中に入り、パンを買っていると、店の人が 「ご苦労さま」 と言って、僕たちにアイスクリームをくれた。するとそばにいた女性のお客が、「じゃ、あたしはこれを…」 と、ガムをくれた。大将と僕が、その人たちにお礼を言うと、店の人が、
「下北の人間はね、み〜んな、親切なんだよ」 と、目を細めた。


雨がまた、本降りになってきた。
昼過ぎ、むつ市営の下北ユースホステルへ着き、宿泊を申し込んだ。しかし、ああ無情…。ユースホステルは満員だという。
「布団部屋でもどこでもいいから、泊めてくんねぇかなぁ」
と、大将が食い下がるが、受付に座る大柄なメガネ男は、それ以上返事もしない。僕が横から、由見子嬢からの伝言か書置きはないか、と尋ねたが、「ないね」 の一言で終わってしまう。大将はまたがっくりだ。由見子嬢はまだ、ここには着いていないようである。


それにしても、受付の男はぶっきらぼうである。
「はて…?」
僕は、胸騒ぎを覚えた。
ふ〜む。この男の顔には、どこか見覚えがあるのだ。
大柄なメガネ男…。 大きな鼻…。
「あっ」
そうだ。思い出した。
糠平である。 
糠平の風呂で、長い長い間、湯舟に浸かっていた男だ。
風呂の中でもこのメガネをかけていた。 
それは、なぜか…?

糠平ユースホステルの温泉には、男風呂と女風呂を隔てる壁に隙間があって、男風呂では、その隙間から、女風呂の一部が見えるのだった。それが見える場所は、湯舟の中の、ある限られた一箇所であった。湯舟に浸かり、身を深く沈めて首だけ出して女風呂が眺められるという 「構造」 だ。この下北ユースホステルの受付に座って尊大な態度をとり続ける男は、このとき、糠平の風呂のその場所に陣取り、ず〜っと湯舟の中に浸かったまま、時々湯気で曇ったメガネを洗いながら、しつこく女風呂を眺めていた男なのであった。こんなところで、澄ました顔をして、アルバイトをしているとは…。
( 「41 糠平の大誤算」 に詳細あり )


「おっ。あんたは、糠平で…。ずっと風呂に浸かっていた人やなぁ」
言いたくはなかったが、行きがかり上、僕も黙ってはいられなかった。するとメガネ男は、「フン」 という表情をして、あっちを向いてしまった。あくまでもムッツリを貫く構えのようである。 まぁ、言わば、お互い、まんざら知らぬ間柄でもないわけだから、もう少し友好的な態度を示したらどうなんだ。 まったく、白々しい。 


「おい。出よう。こんなところは、こっちから願い下げだぜ!」
大将はムッとして、僕の腕を引っぱり、ユースホステルを出た。


降りしきる雨の中、2人で野辺地方面へ向かった。
何時間か走った。 
夕方になった。
今夜もまた、宿無しになってしまう気配が濃厚だ。
ドライブインで食事をし、食事を終えても僕と大将はテーブルに向かい合い、長い間座り続けていたが、どう粘っても、そこで泊れるわけでもない。このあたりは、横浜という地名であった。
「あ〜あ。横浜かぁ…」
大将はまたも東京を思い出しているようであった。
僕らは、泊まるあてもなく、再び雨の降る暗い道路へ出た。


そのとき、道路沿いに壊れかけのようなバラックの建物が見えた。一応、小屋のように見える。近づくと、それは、バス停であった。今にも屋根が崩れてきそうなほど、老朽化している。しかし、なんとか雨露はしのげそうだ。この際、寝られる場所であるならば、どこだっていいのだ。


「よし、ここへ入ろう」 
僕たち2人がそこへ入り、自転車も入れると、中は隙間がなくなるほど狭い。
「ひでぇところだなぁ、…ま、寝てしまえば同じだけどな」
大将は自分に言い聞かせるようにつぶやき、寝支度を始めた。小屋の中にはベンチがあったが、一人分しか寝るスペースがない。大将の配慮で、僕がベンチの上で寝袋にくるまった。
大将は、その下の地面に寝袋に入って横になった。ラジオを聴くと、青森地方は集中豪雨に見舞われている、とのことだった。もう、情けないのは通り越してしまったような、破れかぶれの心境である。


小屋の中で、二人が眠りについて、どのぐらい経っただろうか…。僕が、寝ていて体を横にひねったのだろう…と思う。狭いベンチから、ドスンと下に落ちた。
「ぎゃぁ。いてててててててぇっ!」
下で寝ていた大将が悲鳴を上げ、飛び起きた。
大将の上に、僕の体が寝袋ごと、まともに落下したようである。
その悲鳴と衝撃で、僕もびっくりして、大将の体の上で目が醒めた。
「おぉ…! いてててて」
「ん…?」
「いってえ〜」
「んん…?」


大将はもぞもぞと寝袋から抜け出して、立ち上がり、
「よ〜し、ヒッチをしようぜ」
急に信じられないことを口走った。
「ヒッチだ。ヒッチをするんだよ」


「ヒッチ???」
と僕は寝ぼけマナコで問い返したが、大将はさっさと荷物をまとめはじめ、僕にもそうするように言った。真夜中である。


大将は、傘を差して道路へ出て、車が近づくと懐中電灯をゆらゆらと揺らし始めた。車は何ごとかと徐行しはじめ、窓から首を出して様子をうかがう。
「そらそら、来い…来い。車よ、来い…」
大将が不気味につぶやく。
車は、大将の姿を認めると、あわててスピードを上げて立ち去ってゆく。次の車が近づいてくると、また少し道路へ踏み出して、懐中電灯を揺らす。
「そらそら…。よーし、徐行を始めたぜ。来い、来い、…止まれ…」
また、ぶつぶつとつぶやいている。
どうも、大将は、恐山の死霊に憑かれたのではないかと、怪しんだほどである。車は、大将の姿を見ると、また逃げるようにスピードを上げて行く。当たり前だろう。これで止まってくれる車など、あるとは思えない。


結局、1時間ほどそれを続けてあきらめたか、大将は僕に
「だめだぁ。車は止まりそうにねぇな」
と言って、またバス停の小屋に戻ったのである。

この旅行も、日に日にわけがわからなくなってきた。