22 札幌へ

  自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第22回




お月様までは何キロあるのか?





この日の午後、札幌に到着した。




白老での夢のような狂騒の余韻もほどほどに、またひたすらペダルを踏む。


苫小牧から海岸沿いの道路と別れ、国道36号を一路札幌へと向かう。
走っても走っても、景色は変わらない。最初の頃はこの風景も、いかにも北海道らしくて格別の趣があったけれど、見慣れてくるとどうということはなく、それどころか退屈すら感じる景色に変わってしまう。人の感性というのも、わりに単純なものである。


千歳空港の横を通過する。

 
千歳から札幌までの道路は、「弾丸道路」 と呼ばれているのだそうである。驚くほどの短期間で道路を完成させたので 「驚異的スピード」 がその名の由来であるとか、軍隊の弾薬を運んでいたからとか、弾丸のようにスピードを出せるから、などと、さまざまな説があるらしい。しかし僕の自転車の速度では、いかようにがんばろうとも、弾丸とは無縁である。


これとよく似た感じで、「黄金道路」 という名がついた道路があった。十勝の広尾町から襟裳岬までの数十キロの道路がそう呼ばれていた。僕は7月下旬にそこを走ったけれども、豪雨に見舞われたこともあり、北海道の中でも最悪の道路と言い切ってよいほどの悪路だった。これがなぜ黄金道路なのか…? なんでも、道路を作るのに黄金を敷き詰めたほどの莫大な金がかかったことがその命名の理由だという。これまた聞いてみないとわからない由来である。


さて、弾丸道路を颯爽…とはいかないが、単調ながら快適なリズムで走る僕である。坂道は全くないし、風もうまい具合に背中から吹いてくる。ペダルを踏んでいることを忘れてしまうことさえある。そんなときには、だいたいラジオを聴きながら走る。ラジオでは、アメリカのアポロ11号が来週にも打ち上げられ、いよいよ人類が初めて月に第一歩を踏み入れる瞬間が近づいている…というニュースが繰り返されている。 「月世界探検」 が、夢の話ではなくなるのだ。


ちなみに、地球から月までの距離は、約38万キロだそうである。


小学生のときに夢中になって見た東映映画 「月光仮面」 では、悪人をやっつけ、地球から月へ帰る月光仮面の姿が、毎回のラストシーンで映し出されたけれども、あの小さなオートバイで38万キロ先までたどり着くのは、並大抵のことではあるまい。「サタンの爪」 をやっつけるより、はるかに苦労するだろうと思う。がんばれ、月光仮面


では、自転車で月を目指したらどうなるのか。今から自転車で1日平均100キロで走ると、10年ちょっとで月に着く。休憩を入れたり道草を食ったりしても12年あれば十分だろう。向こうで1年間遊んで暮らし、また12年かけて戻れば往復で25年。地球に戻ったとき、僕は45歳になっているはずだ。「お月さまチリンチリン漫遊記」 という本でも書いて、
「25年間地球を留守にしていたヒト」 などと呼ばれてテレビにでも出たら…残りの人生を、楽しく呑気に過ごせるかもしれないなぁ、と思う。





   千歳空港。


         

              


恵庭町を通過した。
2年前、大学に入って間もない頃、日本国憲法の初めての講義で、法学部の主任教授が最初に判例として挙げたのが 「恵庭事件」 というものであった。この恵庭町に自衛隊演習場があり、そのために乳牛の乳の出が悪くなったとして、近隣の酪農主が、自衛隊の器物を破損する報復措置に出た事件であり、憲法第9条との関連でたいへん大きな注目を集める裁判となった由である。恵庭、と聞けば、そのことを思い出してしまう。
 

いつのまにか、札幌市内に入っていた。追い風で、平坦で、「弾丸道路」 は文句の付けようのないコースであった。北海道に入ってから一番いい気分で走れた道路だった。


札幌はタイムスユースホステルというところに宿をとった。ぶらっと大通り公園に出て、55円のトウモロコシを買って食べる。札幌の街は緑が多い。公園周辺をあちらこちらと歩き回る。


白老の宿泊のあとだからそう思ったのかもしれないが、札幌のユースホステルは主人も無愛想で、宿泊客も、みんな何となく他人行儀で、沈んだ雰囲気であった。まぁ、そんなに行く先々ではしゃぎ回るのもどうかと思うので、こういうところもなくてはならないわけだけれど…。

 





夜、宿の外に置いていた自転車を、玄関の中に入れようとしたら、自転車のフレームに、おみくじを枝に結ぶような形で小さな紙切れが結んであるのが目についた。
「なんだろう…?」
くくりつけてある紙きれの結び目をほどいてフレームから外し、シワだらけの紙を広げ、玄関のあかりに近づけて見ると、それにはこう書かれていた。


「自転車の旅は苦しく辛いことの連続でしょう。 ファイトを失わず最後まで頑張って下さい。 陰ながらお祈りしています」


とてもうれしかった。
誰か知らないけれど、ありがとう。 
最後までがんばります。