30 女性日本一周自転車旅行

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第30回




女性で日本一周している“ユミちゃん”に会う




  


この日は枝幸町の手前から出発。2人のサイクリストと出会った。
2人目のサイクリストとは、幌内付近で出会い、そこでテントを張った。



7月16日。きょうも代わり映えのしない景色を眺めながら、気の抜けない悪路を走る。こういう道を走っていると、もう、牛が道路を横切って行っても、トンボが飛んでいるようなもので、ゼンゼン驚かなくなる。


向こうからサイクリング姿が見えてきた。出会う人もほとんどない道中で自転車とすれ違うのは、干天の慈雨と言ってもいいほどだ。やはり、人は誰かと話さなければ、身も心もやせ細っていくような気がする。
その姿が見えると、ずいぶん手前から手を振り合ったりして、近づいたら自転車を停めて双方が歩み寄る。


サイクリングの男性は、水谷クンといった。
失業中で日本一周中で…、というのも、僕にはすでに免疫ができているので驚かない。でも、水谷クンは、しばらく話した後、別れ際に、ちょっと驚くようなことを口にした。


「女の子で自転車日本一周をしている子がいるよ。いま北海道を回っているんだけど、オレはその子を追い抜いて来たから、今日ぐらいあんたと会うんじゃない?」
「女の子? …若いの?」
「20歳だと言ってた。知らなかった? いま、サイクリストの間でかなり噂になっているよ」
「ふ〜ん。女の子で日本一周かぁ。あっと驚くタメゴローやなぁ」
僕は、ことし大流行している文句をつぶやいて、水谷クンと別れた。



その後…
水谷クンは、僕が旅行を終えた後も、まだ日本一周旅行を続けていた。
そして、大阪へ来たときに、僕に連絡をくれた。
彼は、大阪で1ヶ月ほど住み込みのアルバイトをしたいのだが、
いいところはないか、と僕に尋ねた。
たまたま親しい友人の父親が小さな町工場を経営していたので、
僕は友人に、水谷クンのことを頼んでみた。
そして、めでたくその工場で、住み込みで働くことになった。
水谷クンは、そこで、予定の倍の2ヶ月間、まじめに働いて、
再び日本一周の旅に出発して行った。


    

その年の9月。水谷クンの住み込みの部屋で撮る。
壁には、彼が出会った人たちの寄せ書きが貼ってあった。


さて…。水谷クンと別れて、僕はまた走り出した。


ガタボコ道がどこまでも続く。走りづらい。ガタボコ道が終わると今度は砂利道。タイヤが巻き込まれてズルズズッズー。自転車ごとドテンと倒れる。
「お〜、モーレツ!」
これもこの年、爆発的人気を呼んだ流行語だ。
半ばヤケクソになって、ひとりこれを叫びながら走る僕である。


幌別川の橋の欄干に座ってパンを食べる。


そして午後3時半。僕は「その人」に出会った。
幌内、という場所に近いところだった。


向こうの方からこちらを向いて走って来る小さな自転車の姿が見えた。
少しずつ大きくなる。帽子をかぶっている。真っ黒の顔をした、体格のいい男性である…
と、思ったら、お互いに降りてあいさつを交わしたとき、よく見れば女性であった。
そうだ…この人が噂の日本一周の女性サイクリストだったんだ。
今日ぐらいに会うだろうと、水谷クンが言っていたとおりになった。


「あらぁ、こんにちは〜」と、言葉づかいと声の調子は、やはり女性である。僕と同じ大阪在住で、年も同じ20歳、という情報はすでに得ている。僕は彼女に自分の名を名乗ってから、噂は聞いていたことを告げた。
すると彼女も、
「あなたのことも、聞いていたわよ」と言った。ほんまかいな…。
「大阪の学生さん…でしょ? 言葉ですぐにわかったわ。それに、小柄で高校生か中学生みたいだって人が言ってたから」
ふ〜ん。サイクリストたちは、いろんな情報を交換し合っているんだ。それにしても、誰が中学生なんだよ、まったく。


彼女は少し態度をあらためて、
「わたしはユミ子。ユミちゃんです。今日はどこで泊るの?」
と明るく尋ねた。
僕は「適当なところでテントを張るよ」と答えるしかない。
ユミちゃんは僕の自転車の荷物をひととおり眺め、さらに僕を数秒間眺めまわしてから、こう言った。
「あたしはね〜、ずっと旅館に泊ってきたんだけど、一度、野宿がしたかったの。今晩、テントにいっしょに泊めてよ」
まるで10年来の友だちのような調子で初対面者にそんなことを言われ、僕は面くらい、
「テントに? いっしょに泊まるの?」とオウム返しに訊いた。


「そうよ。キャンプしようよ。いいなぁ、テント。男の人はいいよね。どこでも泊れるからねぇ。そのてん女はソンだよ。よ〜し、きょうはキミのテントでいっしょに野宿をするよ。いいでしょう?」


僕は「ええよ」と答える。
別に反対する理由など、何もなかった。
ユミちゃんは、「やったぜ、ベイビー!」と、これもこの年の流行語を叫び、大いなる喜びようで、
「よ〜し。今日はここで野宿だぞぉ! わーい。初めての野宿だぁ」
と、道の真ん中で両手を突き上げ、真っ白な歯を見せ、大声を上げた。


…こうして、この日、オホーツク海の浜辺で、自転車で日本一周をしている女の子・ユミちゃんと2人で、なぜかいっしょにテントで野宿をすることになったのである。