45 苫小牧へ2人旅

自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第45回



新宿の大将と2人、西へ西へと向かうのだが…





新宿の大将。ごらんのとおりの精悍。しかし…
自転車よりも、車の方が好き。ヒッチ好きである。




  
トラックに自転車ごと乗せてもらう。 
ヒッチに成功したとき、大将は上機嫌だ。   




7月29日。 3人の旅も3日目を迎えた。


襟裳岬を出発してローカル道路を約10キロ走って歌別に入る。ここから国道になり、太平洋に沿って様似、浦河、静内、新冠、苫小牧と、大地の道は続いて行く。その歌別に入る直前、僕はこの旅行で最も血の気の引く思いをした。

大将とねずみ男が前を走っていた。晴れ渡った空の下で雄大な風景の中を走り過ぎる気分は爽快だけど、道は相変わらずガタボコ道である。ガタガタ、ゴトゴトと、自転車というより馬に騎乗しているような揺れようである。僕は何気なく自分の自転車のハンドルを見て蒼ざめた。
「あっ、ないっ! …バッグがないっ」
大事なバッグが…。
現金、貯金通帳、学生証、印鑑、手帳…、すべての貴重品を僕はひとつの小さな黒いバッグに入れ、そのバッグの紐をハンドルにぶら下げてこれまで自転車を運転してきたのである。いつも見えるところになければ心配だったのだ。その、ハンドルにぶら下げてあった黒いバッグが見当たらないのである。これが無くなれば旅は続けられない。天下の一大事である!


「お〜い」と先行する大将たちに声をかけたが届かなかった。背後を振り向いたちょうどそのとき、1台のトラックが50メートルぐらい後方で停車していたかと思うと、こちらに向かって発進した。狭い道なので僕は真ん中に出て、その車に立ちはだかって停まってくれるように頼んだ。停車して窓から首を出した運転席のおじさんに、
「いま、道路で何か拾わなかったですか? もし黒いバッグを拾ったんなら、それは僕が落としたものです」
祈る思いでそう言うと、おじさんは、
「これかい?」
と、横に置いていた僕のバッグを差し出した。よ、よ、よかった〜。
あぁ〜…。危ういところであった。
僕の大切な黒いバッグは、なんと紐がちぎれていた。
むぅぅ……。これではハンドルから落ちるはずである。


僕は胸をなで下ろし、おじさんに礼を言って、ついでに仲間が先に行ってしまったので車に乗せてくれませんか、と頼んだ。いつの間にそんな厚かましさが身についたのか自分でも驚くほどであったが、おじさん快く引き受けてくれ、僕は自転車を荷台に乗せてもらい、自分も一緒に荷台に乗り込んだ。荷台の隅に、黒いトゲトゲのウニが木箱に入って積まれていた。
やがて車は大将とねずみ男に追いつき、2人もおじさんに勧められて車に乗り込み(もちろん大将は大喜びだ)、またもや3人ヒッチの旅となったが、様似という町の付近でねずみ男が降りると言ったので、3人とも車から降りた。おじさんは、トゲトゲのウニをいくつか僕たちにくれて、
「元気で旅を続けるんだよ」と言い残し、埃を巻き上げて去って行った。
その場で食べたウニの味はまた格別であった。


様似から内陸に入るというネズミ男とは、そこで別れた。


僕は大将とふたりになった。
「ふたりなら、…ヒッチもしやすくなるってもんだな」
まだそんなことを言っている。
どうせ冗談だろうと思っていたら、数分後、大将は本当に大型トラックを止めてしまった。大将はニィっと白い歯を見せ、停まったトラックを前にして、「さぁ、乗った乗ったっ」とまるで自分の車に乗せるように威勢良く僕の背中を叩くのであった。
僕たちはまた車に乗り込んで、トラックに揺られ、静内まで行った。




   






静内からは、僕と大将は再び自転車で走り始めた。


信じられないことに、1時間も走らないうち、新冠の町の中に入ったかと思うと、大将は突如また手を挙げてトラックを止めた。もう、僕の意向などおかまいなしの独断専行だ。もっとマジメにやれぇ、と言いたいところだったけれども、僕自身も、正直なところ、そろそろ北海道を出て東北へ行きたかったこともあって、車で移動することに、まんざらでもない快感を覚え始めていた。僕らは、またまたトラックに揺られてウトナイ湖まで行ってしまったのである。


あぁ…、苫小牧はもうすぐ近くである。なんという速さであろうか。


襟裳岬からウトナイ湖までおよそ170キロ。道路の悪さを考えると2日間は走りづめなければならないだろう。それをほとんど車に乗って来たため、一気にもうここまで来てしまった。
ウトナイ湖の西側を走る国道は、苫小牧から千歳、札幌へと続く道である。今月初旬に走った道である。この道路を、札幌、旭川稚内宗谷岬オホーツク海沿岸、サロマ湖、網走、美幌峠、阿寒湖、糠平、帯広、襟裳岬と走ってきた。そして再びウトナイ湖…。「あぁ、帰ってきたんだ」という懐かしさで、しみじみと安らいだ気持になってくる。そろそろ、ホームシックの影が忍び寄って来ていたのかもしれない。


その日は、ウトナイ湖畔で、大将とテントを並べて一夜を過ごした。


苫小牧から函館までは、白老、登別、長万部、大沼など、往路に走った同じコースをまた戻ることになる。往路は3日間かけて走った道だ。


僕はテントの中で寝袋にくるまり、目を閉じて、
「こんな場合にこそ、ヒッチハイクで手っ取り早く函館へ戻ればいいのではないか」
…と、いかにも道理にかなったような都合のいい考え方をしたりする。
いよいよ大将の「ヒッチ好き」が伝染してきた僕なのであった。

 





ウトナイ湖畔で、大将のテントとふたつ並べて一夜を過ごす。