17 函館めぐり

 

   自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第17回




函館・啄木の碑などを見てまわる 





7月2日は、このユースホステルに泊まった。





函館駅から湯の川へ行く途中に石川啄木小公園がある






小公園にある啄木の座像




ユースホステルのある湯の川から市電に乗った。
運賃はわずか20円である。
函館駅で降りて、ここから市内巡りの観光バスに乗ろうと思った。その前に駅前郵便局に行き、5000円をおろそうとしたが、応対に出た局員から、今は12時過ぎだから休憩中だ、と言われた。
「待っていたら、観光バスに乗れなくなるから…」
無理を言って無事に5000円を引き出すことが出来たが、その若い男性局員は、
「どこから来たの? これから北海道を1周するの? ほ〜ぅ、で、この5000円だけで全部まわるつもりかい? 函館山はもう登ったかい? いつ函館を出るの? 泊りはどこだぁ?」
など、いろいろ話しかけてくるので応じていると、気がついたら観光バスの出発時間が過ぎていた。





こういう店を見ると、あぁ北海道へ来たんだと思う。




また市電に乗る。行く先も確かめずに乗ったので、車中で地図を眺め、現在位置を確認する。十字街というところでまず降りた。そこから、徒歩と市電で、駅に置いたあったチラシを参考にしながらぶらぶらとあちこちを見物をした。観光バスが追い抜いて行く。たぶん僕が乗るはずだったバスだろう。道々で買ったカリントウをボリボリかじりながら、函館公園へ行った。背の高い、啄木の歌碑があった。


   函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花 





函館公園の啄木の碑。
函館の青柳町こそ…の歌碑である。 




公園を上がっていくと、函館市内が鳥瞰できた。そこから、てくてくと立待岬へ歩く。岬に向かって一本道を登ってゆくと、啄木一族の墓があり、「東海の小島の…」の有名な歌が刻まれている。そばに砂山影二の歌碑もある。カリントウを束にして口へ放り込みながら、岬の突端まで歩き、しばらくぼんやりする。海と空が広がるだけで、とても静かである。ただし、観光バスが停まると、まわりは突然騒々しくなり、雰囲気も変わる。観光バスに乗らなくてよかった…。郵便局員に感謝した。


函館には啄木ゆかりの地が多いし、歌碑も観光名所になっている。しかし、意外なことに、啄木が実際に函館に住んだのは、わずか4ヶ月間ほどである。


高校時代、国語の先生が、僕に、
「おまえ、その顔、その体つき…、誰かに似とるな」
と言ってしばらく宙を睨んでう〜んと唸っていたが、
「あぁ! そうそう、思い出した」と膝を打ち、
石川啄木や。おまえ、石川啄木によく似ているぞ!」
と叫んだことがあった。
石川啄木? どんなんやねん」と僕は思ったけれど、以後、それを縁に何冊かの本を読み、惹かれるところも多くあって、この旅行でも岩手県の渋民村を訪れることが一つの目的にまでなっていた。しかし才能が似ているならばともかく、小柄で童顔で病気がちで、この世で26年しか生きられなかった薄幸の詩人と、外見が似ていたところで何の足しにもならぬ。ちっともうれしくない。





立待岬へ行く途中にある啄木一族の墓。





アップすると、こうなる。





啄木一族の墓のそばには、砂山影二の歌碑もある。




そのあと五稜郭にも足を伸ばしてみた。観光バスから降りてきた一行の中に女性グループがいたが、僕のほうを向いて、
「ねぇ、見て。あの人、啄木のお墓の横に座ってお菓子を食べていた人よね」
「ほんとだ。ずっとお菓子を頬張っていた人だわ」
などと言い合っている。そういうことは、本人には聞こえないように言ってほしい。


ユースホテルに帰り着くと、すでに午後5時近くになっていた。夕食後、宿の主人に「ぜひ夜景を見てきなさい」と勧められ、安いバスのチケットがどこそこの○○タバコ店に売っているからと教えられ、一人で外に出た。その○○タバコ店がなかなか見つからなかったので、タクシーにもたれてヒマそうに立っている運転手に尋ねたら、
「あ、そこのタバコ屋さぁ」と何軒か向こうの店を指さした。僕が礼を言って行こうとすると、運転手はお金を差し出して、
「ちょっと、兄さん。ハイライトをひとつ買ってきてくんねえかい」
とついでに用まで頼まれた。東北地方では地元の人たちの言葉を解するのに一苦労したが、北海道に来たとたんにその心配はなくなった。言っていることがとてもよくわかるのである。


函館山からの夜景は、絵葉書とまったく同じで、街がキラキラ宝石のように輝いていた。最大の魅力は、何と言っても中央がくびれたその独特の地形に尽きる。帰り道、函館は「大門まつり」とかで、市街が大賑わいになっていた。


宿は、数人が相部屋の和室である。部屋に戻ると同室の1人の男性が、お帰り、と言って
「これ、飲みなよ」と、いきなりウィスキーに氷を入れて僕にくれた。この旅行でアルコールを口にするのは初めてだった。グラスをあけると、さらに次はコーラで割ったウィスキーをもらった。


同室者は僕を入れて4人だった。それぞれ、なぜ自分は旅に出たかということを言い合っている。自転車で旅行しているのは僕ひとりで、あとは列車やヒッチハイクの旅だ。
一人は京都の男性で、会社で喧嘩をして辞めた。むしゃくしゃしたので北海道まで旅行に来た。だから現在は無職である。一人はすでに北海道をぐるりと回ってきたという。この人も無職だ。一人は、北海道の札幌あたりで一旗挙げようという目的を持っている男性で、厳密に言えば旅行者ではない。北海道の自然に触れても、
「この山を削って住宅を建てたらどれくらい儲かるだろうか」
というようなことばかり考えて各地をめぐっているそうだ。もちろんこの男性も無職である。


後日談になるが、僕のこの旅行の最後の日、つまり大阪の自宅を目前にした8月下旬の日であるが、大阪市内を走っていると、横で激しくクラクションが鳴った。「お〜い」 と、大型トラックの窓から身を乗り出すようにして怒鳴った運転手を見たら、この日、ここで会った男性であった。会社で喧嘩してむしゃくしゃしたという、京都の男性だった。彼はトラックを道の脇にとめ、僕らは数分間、話した。彼はもう、別の会社で大型トラックの運転手として働いていた。
「まだあの旅行を続けているの?」 
と彼はあきれるように、言った。あまりの偶然に二人とも愕然としたものである。まだ、2ヶ月近くも後の話である…。


この人たちの話を飽きずに聞いているうちに深夜の2時になってしまった。久しぶりにお酒を飲んだせいか、ふわふわとしたいい気持ちで、布団につくとぱたんと寝てしまった。


真夜中…。
同室者のひとりが、
「ニャーァゴッ!」 
と、化け猫のような叫び声を放ったので、みんなびっくりしてはね起きた。どうやら寝言のようであった。


みんなが再び寝静まったあと、また 「ニャーァゴッ!」 とその人は叫んだ。また、みんなはね起きて、目をこすりながら互いに顔を見合わせた。ぐっすり眠っていたのはミスター・ニャーァゴ氏だけであった。北海道をぐるりと回ってきたという男性である。


この人は、道内の宿で、毎晩ニャーゴッ、と叫んで来たのであろうか…?