7 新潟へ

  

     自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜



新潟でも宿にありつけず


6月23日。
直江津駅での一夜が明け、外の自転車を見に行くと雨でびしょびしょになっていた。


午前7時に雨の中を走り出すが、大粒の雨に耐えられなくなり、大潟という小さな駅で雨宿りをした。


駅の待合の椅子に座りながら、またうつらうつら居眠った。いつのまにか周囲は、小学生の団体であふれかえっていたが、やがて来た列車に全員が乗り込み、駅には再び人影がなくなった。寂しさが身に沁みてくる。


雨が上がったのを見て大潟駅を出発したのは午前9時だった。昨日と変わらない海岸線沿いのコースである。しかし起伏が激しく、米山峠というところでスタミナが切れてしまい、休憩した。展望台があって、そこから眺める景色は悪くなかったけれど、なにしろ曇っているので気分がなかなか晴れない。日本海はずっと、どんよりとした雲に蔽われている。







柏崎を通過したら国道8号は海から離れていった。
長岡まであとわずかという峠の上で休憩していると、一人、サイクリストが自転車を押して上がってきた。
「こんなところに峠があるとはねぇ。いやぁ、まいった、まいった」
自転車を止めて僕に近づきながら、その男性はヒゲもじゃの口元をほころばせた。


タブチさんといって、僕より2歳年上の岡山県の人であった。
日本一周の途中だそうだ。
5月4日に岡山を出発して、山陽道から九州を一周したあと山陰道に入り、北陸を通ってここまで来た、とのこと。10月まで、半年をかけて日本一周をする予定だという。
昨日黒部で別れた鈴木君とよく似たコースなのでそのことを話すと、タブチさんは、
「鈴木君! 知ってる知ってる。いっしょだったんだ」
とメガネを拭きながら、とてもうれしそうな顔をした。
「九州に入るとき、鈴木君といっしょになってねぇ。もちろん別々に走っていたんだけど、どういうわけか、九州を出るとき、またバッタリ出くわしたんだ。そのあとも、抜きつ抜かれつだったんだけどね。元気にしていた?」
「きのう黒部で別れたばかりだけど」
「ふ〜ん。ボクが能登半島を回っている間に、また先に行かれたんだなぁ」


タブチさんは、旅行中の宿泊方法として、学校の校庭にテントを張らせてもらったり、村の公民館に泊めてもらったりするのがいい、と教えてくれた。
「自転車の日本一周ってどんなに大変かって思っていたけど、そうでもないよね」
そう言ってタブチさんはほがらかに笑い、自分はきょうは大学の先輩がいる見附という街までだから急がない、どうぞ先に行っておくれ、またどこかで会おうねぇ、と手を振って僕を見送ってくれた。




  タブチさん。




僕はきょうは新潟まで走る予定だった。野宿が2日続いているので、新潟のユースホステルでゆっくり疲れを取りたかった。


峠を下ると長岡市である。
信濃川にかかる長い長い橋をわたる。
3時に長岡駅で「洋風カツ丼」というものを食べた。涙が出るほど美味しかった。
長岡市内の車道を走っていると、粗暴そうなオヤジが僕に大声で「そこは通ってはダメだ。こっちを通れ」と指示するのでよく見ると、車道の横に「緩速車両」と標示されているやや細い道があった。ここは自転車以外には何も走っておらず、
たいへん走りやすくて快適な道路であった。



    
    
 信濃川をわたる。



長岡から新潟までは約60キロだ。左に弥彦山などを眺めながら、淡々と走る。
やがて満々と水を湛えた信濃川が、再びその堂々たる姿をあらわした。
河口にも近く、水は、流れているというより溢れているという表現のほうがぴったりだ。


すでに日が暮れかけている。
やたらに交通量の多い新潟市内を、地図を頼りに走って白山町というところにあるユースホステルへ行ったけれど、満室だということで宿泊を断られてしまった。困った。 ここを断られると、ほかに泊るところが思い当たらない。駅に自転車をとめて、万代橋を渡って新潟の繁華街を当てもなくぶらぶら歩くが、寂しさが募ってくるばかりである。仕方ない、きょうも駅で寝るか、と決めて、夕食をとることにした。


「日本一まずい店。だまされたつもりでどうぞ」
と大きな看板が上がっている店にだまされたつもりで入り、180円の中華定食を食べたが、やはりまずかった。みすみすだまされてしまった。昼の長岡駅の「洋風カツ丼」とは雲泥の差だった。

昨日の直江津駅と同じつもりで駅構内のベンチで寝ようと思っていたが、午前零時になると駅員がやって来て、駅を閉めるから出て行ってくれ、と言われた。
出て行けって? こんな時間、にどこへ行く? 
もう今さらどこへも行けないじゃないか…。


駅の前に屋根のついたバス停があったので、そこへ移動して、ベンチで寝袋の中にくるまった。横のベンチに浮浪者がいたが、寒くなったので、すぐにどこかへ行ってしまった。
…やれやれ。
宿屋を門前払いされたり、駅を追い出されたり、どうも流れがよくない。


しばらくすると、
「もしもし…。何をしているの?」 
という声が聞こえた。
こんな時間にいったい…。
「はぁ…?」 
目を開けると若いおまわりさんが立っていた。何をしているの? と言われても、他にしていることは何もない。
「寝ているのです」 
と僕は体を起こしながら、まじめに答えた。
「君はどこから来たの?」 
自転車は駅の入口に置いたままなので、おまわりさんにはサイクリング中ということがわからなかったのだろう。僕は大阪から自転車旅行をしていること、新潟ではユースホステルを断られ、駅も追い出されたので泊るところがなく、止むを得ずここで寝る仕儀となった、
と状況を説明した。
「あ、そうだったの? じゃぁ、交番へ来なさい。お茶でも入れるから」 
思いもよらぬ言葉に僕は一気に元気づき、あわてて寝袋をたたんでおまわりさんについて駅前の交番所へ入って行った。


椅子に座ってお茶を飲み、聞かれるままにこの旅行のことを話した。今夜はここへ泊めてもらえるのだなぁ、とホッと安堵していたら、若いおまわりさんは、「さぁ…」と腕時計に目をやって、
「わたしは午前2時で勤務が終わるので、君もさっきのところへ戻りなさい。自転車でそんなに遠くまで旅行しているのだから、こういうことも覚悟の上でしょう? 何事も勉強だからね。 わたしもそういう旅行がしたかった…」
と言って立ち上がった。
当てがはずれ、うなだれて交番を出て行く僕に、
「最後まで頑張るんですよ」 
と声をかけ、最後は敬礼で見送ってくれた。


風が強まり、冷え込んできた駅前のバス停に戻った僕は、
ベンチで再び寝袋にくるまって横になり、
またも眠れないままに夜明けを迎えるのであった。