18 長万部から洞爺湖へ

 

   自転車の旅  〜 昭和44年 夏 〜  第18回




7月3日長万部付近で野宿。4日洞爺湖泊。 








北海道の大地は…





まっすぐな道が、どこまでも続く。




7月3日。函館を出発して、いよいよ北海道の道を自転車で走る。
どんよりと曇り空だが、ラジオを聴くと、本州はずいぶん雨が降っているそうである。本州のことを北海道の人たちは「内地」と呼んでいる。
国道5号を北へ走る。


真っ暗なトンネルを抜けると、大沼の絵に描いたような風光が開けた。ますます北海道らしくなってきた。特に、大沼を過ぎて、小沼にさしかかったころ、美しい山裾を広げる駒ケ岳の颯爽たる風姿に大いに感動し、しばらくうっとりと見とれて立ち尽くす。


その駒ケ岳を見ながらペダルを踏む。
北海道はさすがに広々としている。
道路はどこまでもまっすぐに延び、追い抜いて行った車が、いつまでも視界から消えないのも妙なものである。牧場のサイロや、点々と風景の中に溶け込んでいる牛や馬の姿。その何もかもが北海道だ。


森という町に来ると、ここから海岸沿いの道となり、ところどころ舗装がとれてガタボコ道が混じりはじめた。右手に広がる海は、通称噴火湾と呼ばれる内浦湾である。海の色が濃い。天気が良くなってきた。
海を隔てて遠くにぼんやりと岬が見える。あれは室蘭なのだろうか。
どこまで走っても道はまっすぐで、いつまで経っても駒ケ岳が見えている。
ちっとも進んでいないような気がする。
うーむ。まったく北海道は広い。広い。広い…。


八雲の町を通り過ぎたあたりで、一人のサイクリストが向こうからやって来た。
少しだけ会話をして別れたのだが、その人は北海道を39日間かけて回ってきたところで、函館に向かうところ。これから九州をめざすのだと言う。やはり日本一周である。旅行が終わるのは9月末ぐらいになる見通しだとか。
車すらたまにしか通らないこうした道で、ひとりで黙々とペダルを漕いでいると、時として気力が萎える。同じ自転車旅行者に出会うことほど励みになることはない。ひとしきり情報を交換し合い、その人の珍体験や旅の秘術などを明かしてもらったりすると、なんとなく力がわき、安心感が戻ってくる。


野良仕事をしている女の人たちが、背中を伸ばしながら、こちらに向かって手を振る。
「内地から来たのかぁ」と愛想よく声をかけてくれる。僕も手を振る。そんな人たちとのすれ違いざまの瞬間の交流にも、活力を与えられ、心が晴れやかになる。
このあたりの人たちは、都会と違って素朴で親切な人ばかりである。そんなことを改めて感じながらほっこりした気分で走っているうちに夕方になった。長万部まであとわずかのところである。
小学校の前を通過した。僕は新潟で出会った日本一周のタブチさんに教えてもらったことを思い出し、今夜はここの校庭にテントを張らせてもらうことに決め、自転車から降りて中へ入っていった。
下駄箱の前で、じっと僕を観察していた教諭らしい男性に声をかけた。
その男性は、僕が話し終わると、何を言っとるんだ?という表情で、
「校庭をそんなことに使わせるわけにはいかないね」と額にシワを寄せた。
あてごとは、見事にはずれた。ざんねん。


がっかりして再び走り出し、長万部に着いた。
駅で水を汲んで自炊の準備を整え、また走り始めて町を過ぎると、すぐに何もない野原だけの殺風景な道路に夕暮れが訪れた。原っぱの中へ自転車を押して行き、テントを張った。
ご飯を炊き、ラジオで巨人阪神戦を聴きながら、缶詰をおかずにして夕食をとる。
野球は、巨人が今期はじめて江夏を打ち込んでリードした。
ひとり、パチパチパチと拍手をする。





 駒ケ岳。





 長万部の駅。





 長万部を過ぎたところで野宿をする。




7月4日。スタートすると間もなく峠にさしかかる。晴れ上がったいい天気だが、静狩峠、礼文華峠とまったくやっかいな坂道が行く手に立ちはだかる。登って、下って、また登る。日本の道路って本当に峠が多い。坂道だらけである。といっても、外国の道を知っているわけではないけれど、まるでシシュフォスのようにこれに耐えなければならないのが辛い。
おまけに暑いこと暑いこと。この地域は北海道でも最も暑い場所だという。
峠を登りきると壮大な風景が広がる。このときだけは夢見心地になる。そしてまた自転車にまたがって、現実に引き戻される。こんなことを、繰り返して、ひたすら走る。走る。


豊浦の町でパン4個の昼食。そこからすぐ虻田に入り、左折すると洞爺湖に向かうのだが、またまた峠が行く手を阻む。力を振り絞って上がり、上がりきったら眼下に洞爺湖が、前方に蝦夷富士と言われる羊蹄山が見えた。まことに「絵にも描けない美しさ」とはこのことであろう。北海道の大自然に、欲も得もなく酔いしれることのできる瞬間だったる。
ふ〜っと、深呼吸をする。洞爺湖この中にぽつんと浮かぶ島も美しい。ひとつひとつの光景を十分に瞼に焼き付け、惜しみつつ下り道にかかる。一気に下ったら温泉街に入った。
いたるところに「湖水祭」の看板、垂れ幕がある。ちょうど今日がその初日のようだった。


午後2時半、洞爺湖湖畔から近い昭和新山ホテルに着く。
きょうは60キロしか走らなかったが、ここで泊ることにした。


つっかけ履きで、荷物を取り払った自転車に乗り、昭和新山に行った。
意外に小さい山だったけれど、足元はゴロゴロしていて、あちらこちらから異臭を帯びた湯気が上がる。頂上まですぐに登れそうだったけど、つっかけ履きでは危なくて登って行けなかったのが残念だった。


きょうで総走行距離が1500キロを超えた。


夜、部屋の人たち5、6人と連れ立って洞爺湖畔の湖水祭を見物に行った。
夜店が並ぶが、やはりここでは熊の彫り物の店が目を惹く。
「熊彫り暦11年」と言うおじさんと話した。
「熊の彫り物はね、科木(しなのき)を使うんだよ。これで結構食べていけるんだから」
と、おじさんは、口ではのんびり話しながらも、両手は縦横に動き、寸分の無駄もない敏捷な刀さばきでゴリゴリと彫っていく。速い速い。これはもう手づくり、というより大量生産のスピードに近い。僕たちはみんな、目をまるくしてのその早業に見入った。しかしまぁ、これほどのスピードを見せられると、かえって味わいが薄くなるような、そんな感じもしなくはなかったけれど…


湖畔の賑わいがひときわ華やかになった。
「ミス湖水」のパレードが向こうからやってきたのである。
3人の美女「ミス湖水」は、前後に大勢の仮装行列風ハデハデ衣装の男女を従えて、ぺらんぺらんの衣装をまとって僕たちの前を通過した。僕たちは、「ミス湖水」は、あのぺらんぺらん衣装の下には何も身につけていないのではないか、とひそひそ所見を述べ合った。いや、それはそれなりの下着をつけているに決まっている、という意見もあり、議論は白熱した。


「ミス湖水」が通り過ぎたあと、僕は「関西名物」と銘打つたこ焼屋で、串に刺して3個20円といういかがわしげなたこ焼きを買ったのだが、どこにタコが入っているのだかわからず、小麦粉のねちゃねちゃした感触だけが口に残るインチキものであった。「関西名物」などと勝手に言わないでくれ。
ここには「関西名物」と銘打ったものが、もうひとつあった。
「関西より来演。本場のストリップ」というものであった。


祭りも大詰めを迎え、最後に花火が打ち上げられた。


洞爺湖に映える色とりどりの花火は、この祭りの唯一の見ものだった。





 長万部を過ぎると峠の連続だった。





 洞爺湖の展望台。ここから羊蹄山も見えた。





 昭和新山ホテルで。








 昭和新山